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自己犠牲?

好きなことを仕事にするか

仕事は収入のためと割り切って、プライベートで好きなことをするか

究極の選択 みたいだけど

私はまよわず 前者

だって仕事もプライベートも充実させるためには、前者しかありえないから

好きな仕事して、プライベートでも好きなことしたらいい と、思ってます

子供ができたら、なおさらそう思ってるまである

子供は親をよく見ているから、親が楽しそうに生きていたら自分も楽しそうに生きていくだろうし、親が悲観的ならその思考が入り込む

近くにいるからどうしても見ちゃうのだけど、義姉をみていると義両親の影響の、しかも悪いところの影響をモロに食らっている

可愛そうなのが、親がそれに気づけていないところ

義姉の一番近くにいる義両親の影響を受けている事に気づいていないか、うすうす気づいているけど気づかないフリをしている

生き方が、自己犠牲を正当化して、不幸を世の中のせいにして、自分を変えない という、不幸まっしぐらの生き方

不幸というのは、他者評価じゃなくて自己評価としての 不幸

死ぬときに「幸せだったな」「もう一度生まれ変わっても自分でありたいな」という、幸せな気持ちで死ねないのではないか という意味での、不幸

私は「苦労したけど、面白かったし幸せだった 楽しい人生で満足だ この時代に生まれて生きることができて感謝しかない」という気持ちで死にたいから、そこにそぐわない事はしたくない

仕事って、どんな仕事してもそれなりの苦労もあるし、人間関係も複雑だよね それは、好きな仕事でも割り切った仕事でも一定の苦労はある

プライベートも、一定の楽しさと一定のマンネリと一定の辛さがある

だったら、仕事は好きな仕事をしたほうが充実を感じる事が多い気がする 人に話したくなる仕事が多くなる気がする

好きな仕事で努力すると本当に楽しい

成功したらとても嬉しいし

失敗しても成功に繋げられそうな気がするし

勉強も楽しい

嫌な仕事を収入の為に何十年も続けている人は狂気の沙汰だし、それはもうむしろ好きなんだと思うw

私は好きな仕事で四苦八苦している姿を娘たちに見せたい、むしろ見せつけていきたい

おかあちゃんは好きな仕事を楽しくしながらあなた達をそだてたのよ 苦労もしたけどずっと楽しかったよ だって好きな仕事しながら大好きなあなた達と過ごせて最高の人生よ

って、言いたい

そして、あの子達が子育てを始めるころには、少子高齢化が超加速していて、専業主婦になることは難しいかもしれない

そのときに、おかあちゃんを思い出してほしいんだよなー

「自己犠牲で嫌な仕事も我慢して私達のために苦労してくれたんだから、年寄の愚痴ぐらいきいてあげなきゃ」

ではなく、

「おかあちゃんいつも忙しそうだったけど、楽しそうに笑ってたな どうしたらそんなふうになれるのか、話しききにいってみよう」

がいいな

よし、はたらこう

ほな

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子育てのこと 未分類

女性中間管理職

従業員10人ちょいの小さなお店

オーナー社長の次の立場

No.2といえば聞こえはいいけど、ただの中間管理職

同じ立場の同僚がもうひとりいるのでNo.3かもしれない

給料は管理職マジックで、固定給

残業代はつかない

けど、休んだら日給引かれるw

幼少期「選択するときは自分にとって不利な方(嫌な方)を選ぶように」と教えられたからか、苦行を”しめしめ”と思うフシがある

今のポジションも、しんどい

何がいちばんしんどいかって、、、

【帰らないといけない】事だ

小学校の児童クラブ、保育園、どんなに長く居てもらっても18時ごろまで

旦那様がお迎えに行ってくれるけど

帰って7人分の夕食を作らねばならず、同居の義両親は「子供よりも母親が遅く帰ってくるなんてありえない」「親に食事の準備をさせるなんで非常識」という昭和の考え方

もちろん同居スタート時はそんな事はなかった

できることはしてあげるし、せっかく一緒に住んでるんだから頼って欲しい というスタンスだったと記憶している

でも、あちらもすこしずつストレスが溜まってきたのだろう

自分たちが苦労したことばかりを話し、あなたは恵まれているのに家の事をやらなさすぎだとたしなめられるようになった

この親が待っていると思うと、17時あたりから “10分でも早く帰らないとまた罵られる”という暗い感情が襲ってくるここ

スタッフは私が「帰る」といえば「お疲れさまでした」と言ってくれる 子供がいることをわかっているからだ

でも、自分の部署の仕事が追いついていないのに帰るわけに行かない あと少し、あと少しやれば引き継げる!あーーーこのタイミングでこのトラブル!?もう絶対に18時すぎちゃうじゃん、、、という毎日がしんどい

新年会などには家族参加OKだから何度も連れて行っている

スタッフはわかってくれる

でも、一番わかってほしい家族がわかってくれないのだ

それが、一番つらい

旦那が仕事帰りにスロットへ行き、閉店まで打って遅くなろうとも、一言も注意しない義両親 「ストレスが溜まっているんだね」と

私がほんの30分残業しただけで、目を吊り上げており「ただいま」に対して「おかえり」すら言わない

やりくりして生活費を渡すときだけ「ありがとうね」なんて言うけれど、仕事に対しての理解は一切ない

女が、結婚して出産しても正社員で人より少しでも多いお給料を貰うことがどれだけ大変なのかわかっていないし、

かわいい孫たちは、そういう厳しい社会に出ていくのだということも理解していない 今の子供世代が年金で暮らしていけると思っているのか?

「私は子供が寂しいと行ったから、早く上がれる職業に転職したの」と人生の自慢話をする義母

義母は義父に裏切られて借金を背負わされ、その支払のために長女は今期を逃し未だに未婚 独身のままある意味孤独に、幸せを噛みしめることなく一生を歩むのだそうだ

そんな娘をそだてた義母の言うことを、なぜ聞かねばならないのかが謎である

でも、苦行を選ぶ私は、同居を解消せず、不自由の中に自由を見出しながら、「みんな(みんなって誰?)より苦労してるんだからいつかみんな(だからみんなって誰?w)より幸せを感じる日がくるはずだ!!!」と自分に言い聞かせ、今日も幸せに眠るのだ

ほな

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未分類 自分のこと

道は開ける

有名な自己啓発本と出会ったのはハタチのとき

転職したばかりの会社の上司から与えられた最初の仕事が「道を開ける を一日一章読んで感想文を提出すること」であった

驚いたけど、読んで、提出した

何日ぐらいやったのか、覚えていないけど、いつの間にかその課題は終わり、手元に本だけが残った

カーネギー先生の「道は開ける」「人を動かす」

鉄板のバイブル

道は開ける に出会っていなかったら、今の私は無い

私が特に影響を受けたのは

「レモンを手に入れたらレモネードを作れ」

「今日一日の区切りで生きよ」

この二章はいつも胸にある

レモン(良くないもの)を手にしたら、レモネード(喜ばれるもの)に変換してしまえばいい

いつまでもくよくよレモンについて悩んでいるのは人生の時間の無駄であるとハタチで学んだ

気が重い仕事、嫌いな上司や苦手な取引先、、、自分の思い方次第でレモネードにすることはできる

私の旦那様はよく云う

「愚痴ばっか言ってる人って、結局そういうのが好きなんだよ」

ちょっと意味がわからなかったけどw

つまり、「レモンをレモネードにしようとしない人は、レモンの酸っぱさや苦さに苦しんでいる自分や、周囲に「可愛そうに」と思われるのが好きなんだ だから、レモネードなんて作るつもりはそもそも無いし、作り方を調べることすらしない なぜなら、そういう自分が好きだから」ということだ

私は考え続けたいよ、美味しいレモネードの作り方を

「先案じするな」と、子供の頃からよく母に言われた

起こるかどうかもわからない未来に怯えて不安をつのらせても無意味だよ、と

今日一日の区切りで生きる という考え方を知ってから、

今日の苦労は今日の私ががんばろう

でも、明日の事は明日の私に頑張ってもらおう!がんばれよ、明日の私☆ と、割り切るように心がけていた

毎日心がけてたら、むしろ楽観的になってしまったように思う

まあ、、、昭和の考え方押し付けられて、家事も育児も嫁の仕事 家の事は嫁がやってあたりまえ 他の家族はあくまでもお手伝いしてあげてるの

という考え方を信じている義家族と同居なんてしてるんだから楽観的じゃないと精神病になっちゃうねw

これからの人生の中で、今日、今、このときが一番若いんだ!

レモンをレモネードにする方法を、明日の自分を信じることを続けていれば、私は絶対に幸せに死ねる!!

究極の、ドM思考wwwww

ほな。