1.学校に行くことが目的じゃない
”新学期 夏休み明けは学校に行ってくれると来たいしてた。今日も起きてこない。絶望”
”明日は行くよ という言葉に何度裏切られただろう。辛い”
みたいなツイッター投稿をよく見かける。
気持ちはとても良くわかるし、冗談抜きで胸が締め付けられるようです。
他所の子みたいに、普通に学校に行ってほしい。笑顔で友達の話をしてほしい。いつからっこうなってしまったんだろう。どこで間違ったんだろう。そんな想いがぐるぐるぐるぐるしているのだと思います。
私は、姉妹の母です。娘たちは学校や保育園に毎日普通?に通ってくれています。とてもありがたいことだと思っています。
だって、私自身が不登校児童だったからです。
自分が不登校児童だったくせに、娘が「明日、学校行きたくなーい」とか言い出すと、ガチで詰めます。娘が震え上がるほど詰めます。先日は「当たり前のことを当たり前にできない奴に、親が当たり前のことをしてくれると思うなよ。ご飯も洗濯も買い物も自分でして自分で生きろ。それができないなら学校行け。学校いかないなら明日からご飯は作らない、洗濯もしないし、洋服もおもちゃもお菓子もジュースも買わない。自分のお金でかってにやれ」と詰めました。「明日、学校行くね」と用意していました。
自分が不登校児だったくせに偉そうだな。と、自分で自分にツッコミいれてますが、伝えたいことは、そういうことです。
大多数の人が行っている「学校」。少しぐらい嫌なことがあったとしても、無理矢理にでも行くということを経験したことの無いこどもが、おとなになってから気が乗らない仕事に毎日行けるでしょうか。転職を繰り返す使えない社会人になってしまうのでは?と思ってしまいます。「なんとなーくだるいな」ぐらいの感覚で休み始めて、ズルズルと不登校になってしまっている人も少なくないはずです。そこでまずは「行け!!!」と強く背中を押すことも大切だと思っています。「行きたくない」と言えるぐらい自我が育っている子に対してなので、「なぜ行きたくないのか」「なぜ行ったほうがいいのか」「行かなかったら何を家でするのか」をきちんと説明して選ばせるぐらいのことはすべきだと思います。
”子供が学校にいかない。絶望”とつぶやいている人は、子供に期待しすぎです。自発的に良くなっていく子供なんでごくごく一握りで、環境は作ってあげるべきです。親なんですから。
目標設定を明確にして「学校に行っていれば、学校に行きながら将来について考えていけばいいけど、行かないなら「自立」を目標にするから、まずは自立するのに必要な学力を家で身につけるから、明日はこのドリルをやっておくように」など、日毎の課題と、なぜやるのかをつたえる。
あ、誤解しないでほしいのですが、子供にはこちらの気持ちも想いも伝わらないです。伝わなないことは大前提で接していくんです。辛いです。イライラするし、それこそ絶望すると思います。でも、いまはそうでも、将来この子がやりたいことができたときに立ち向かえる強さを家庭でみにつけてあげるんですから親も必死にならないと無理です。
学校に行くことは人生の目的ではありません。手段です。一度の人生を楽しむため&なれる最高の自分になるための手段の一つにすぎません。目的を見失ってはいけません。学校に行かなくても、自立して、幸せに生きて死ぬ道はたくさんありますから。
2.「自立」を諦めない
起きてこないから。引きこもっているから。言うと怒るから。などなど一筋縄ではいかない理由は山ほどあります。
それでも大切なことは、「自立」を諦めないことです。小学六年生までの勉強は最低限マスターさせておくべきだし、本は読ませるべきです。社会に出たときに、引きこもってしまいくじけてしまったら、親の力ではどうしてあげることもできません。そうなったら個々の力にかけるしか無いかもしれませんね。
でも、子供の不登校で悩んでいるということは、まだ子供は学生ということですもんね。親がやれることはたくさんあると思います。いまは伝わらなくてもいい。あと五年後、十年後、二十年後に「不登校時代にこれをやっていてよかった。」「あのころやったこれがあったらなんとか就職できた!」と思えるような努力をさせてあげることが大切だと思います。
結局、成功している人は「地道な努力」が出来る人です。楽して成功はありません。不登校でもいいんです。「コツコツと、正しい努力を積み重ねることが出来る人」は社会でも必要とされますし、信頼も得ることができます。
学校に行かない=楽してサボれる
なんて楽な道を容認するのではなく、正しい努力の方法を教えてあげてください。
そう、親が、まずは勉強することが必要です。正しい努力の方法なんて、知ってます??知らないですよね。だからます、親が勉強して子供に伝えていくんです。「毎日本を読もう」「知らない言葉が出てきたら調べよう」「テレビや動画はリテラシーが低い」「昔から読みつがれている本を調べて読んでみよう」「本の中から学んだことを一つでいいから実行してみよう」「小学六年生までのドリルを完璧に理解できるまでやろう」「日記をかいてみよう」「挨拶はきちんとしよう」「自分の事は自分でやろう」「感謝を伝えよう」「自分の気持を言葉にしてみよう」「嘘はつかない」「かっこ悪くてもOK!」「整理整頓清潔!!」
などなど、家庭で伝えることはもっともっと多くあります。
それらを、できなくてもいい、理解されなくてもいいから伝え続けることです。いまはやらなくても、いつか、いつかそれを思い出して糧になる日が来るかもしれない。親が諦めずに伝え続けることが何よりも大切です。そして、自分もやる。親がやってないのに子供にやれというのは虫が良すぎます。私も子供にやれと言ったことは、子供がやらなくなっても続けます。そうしないと説得力が皆無になり、おとなになっても子供が思い出してなにかの助けになる、、、ということがなくなってしまうからです。子供は、親が思うよりも親を見ています。親が良ければ、いっときは道を踏み外してもちゃんと戻ってきます。
不登校の子供よりも、まずは自分を正すべきなのです。
正している親をみて、子供も必ず変わって行きます。これ、マジです。
3.見捨てたらそこで試合終了ですよ
不登校児童にとって、親が見捨てたり諦めたりするのが、最悪なんです。学校には行かなくても、「この子は大丈夫。」と信じてあげることが、子供の力になります。
絶望している場合ではありません。
頼むから、親が立ち上がって親が自分を正して、背中を見せてやってほしいのです。今は無意味に感じても、絶対に将来、親の背中を思い出すときがきます。眉間にシワを寄せて、涙をながし、イライラした声で「はぁ、今日も学校行かないんだね。学校に電話してくる!」なんて毎朝のルーティンのように部屋にやってくる母親から、何を学んで何を感じてどうやって未来を想像したら良いのでしょう。不登校児の親が集まるコミュニティーで、共感できる仲間と傷のなめ合いをして、ストレス発散するような無駄な時間を過ごす親の背中を子供はどう見ているでしょうか。その時間を子供と向き合って本を読む時間に使えよ。と思います。
親として、不登校の子供を自立に導くのなら、まずは親が子供から自立し、生き生きと楽しい人生を歩んでいる必要があります。手のかかる子供にだけとらわれるのではなく、子供の為に自分を磨いて、一緒に成長すべきときです。
そうすることによって「あなたが不登校だったおかげで、お母さんもいろんな経験ができて良かった。ありがとうね」と言えるのだ。
私の母親は、私に何度も言う。
「お前は不登校にならなかったら、嫌な奴になってたと思う。躓いてくれて良かった。お母さんも他ではない経験をさせてもらって本当に良かったよ。大変だったけど、ありがたかった。不登校の経験がなかったらと思うとぞっとする」
私の経験が全てではない。でも、誰かの心にスッとハマってくれて、スッと楽になって、自立への一歩を踏み出してくれるといいな。
ほな。