子供の頃の性格と傾向
不登校になる前の自分は、負けず嫌いで、自己顕示欲が強い子供でした。何をやってもすこじ早くて少し上手にできるので、今時の言葉でいうと”カースト上位”の方にいたと思います。音楽会ではピアノで伴奏をしたり、テストでも100点が多かったし、通知表も◎ばかり。足も早かったし、鉄棒も縄跳びも上手でした。母親のことが大好きでとにかく甘えん坊。父親とも仲良く、姉兄にも可愛がってもらっていました。学校でも少し目立つ存在だったと思います。多分。
不登校のきっかけ
小学校3年の秋。特に具合が悪いわけでもないのに、学校に行くのが嫌な朝がありました。お友達に持ってきてほしいと言われた絵を用意できなかったとか、そんな事があったような気がします。とにかく行きたくなくて、母親に泣いてすがって、送ってくれた車から降りずに縮こまっていたら、、、母親と学校の先生が話す声が少し聞こえて、、、結局その日は、学校に行かずに、車の中で母親の仕事が終わるのを待っていたような記憶。具合が悪くないので、ズル休みをしてしまったようなちょっとした罪悪感。でもそれを認めたら負け?みたいなドロッとしたズルい感覚。そのドロッとした感覚が、心に巣食ってしまったのかもしれません。そこから、ズルズルと学校に行けない日がはじまったのです。
ブラックティーチャーとの出会い
ずるずると学校にいけない末っ子を、母はどのように感じていたのか、、、。今は「不登校の子供を持って良かった。お前のためにも本当に必要な時間だった」と言ってくれていますが、当時はまだ30代だった母。悩んだと思います。相当しんどかったのではないかと。今でこそ不登校児童の親を支援する動きが社会全体にありますが、当時、田舎だったこともあって登校拒否児童は悪目立ちしていたし、母も「末っ子を甘やかしすぎなのでは?」「無理矢理にでも学校に行かせないとだめなんじゃないか」など子育てについてあれこれ言われてしんどい毎日だったと思います。そんな母に、カウンセラーの先生を紹介してくれたママ友さんがいました。ママ友さんは看護師さんで、同じ病院に勤務する女医さんがとても信頼できる先生だから、会ってみないか。と。
母は、そのママ友さんを信頼していたので、会ってみたいと即答。車で1時間ほどかかる病院に向かったそうです。母は、車の運転が得意ではなかったし、長距離は嫌だとよく言っていたのに、慣れない道を父に教えてもらいながらまずは父と一緒に先生に会いに行ってくれました。父親も母親も、先生の的確なアドバイスに感銘を受け、その後私も一緒に通う事になりました。
先生の名前をモジッて、姉と兄が「ブラックティーチャー^^」と呼んでいたのを覚えています。
先生との出会いは、私と母の運命を変えました。
私には
- 少し嫌なことを毎日続けよう(雑巾がけ、縄跳100回、素振りなど)
- 算数のドリルと漢字ドリルを毎日やる
- 他人の嫌な部分は、自分にあるところ 人を責めずに自分を直そう
- 頑張らない
- 「心の日記」を書く
母には
- 不登校は母親との関わりが原因 子供ではなく母親を指導する
- 「頑張れ」と言わない
- 目標を「学校へ行くこと」ではなく「社会に出ること」に設定する
- 「学校へ行きなさい」と言わない
毎週、片道1時間のドライブを楽しみながら、ブラックティーチャーのもとへ通いました。いつも、家事や仕事、畑に田んぼにと忙しい母を、唯一ゆっくり独り占めできるこのドライブのひとときが大好きでした。
小学校6年生の卒業まで、不登校と保健室登校を繰り返しました。中学校でも2年生の後半半年、不登校でした。
中学生になってからは、自分で電車に乗ってブラックティーチャーの病院まで通いました。
両親はずっと明るかった
父も母も、「お前なら大丈夫だ」と、ずっと信じてくれていました。今はだめでもいつかは大切な事に気がついて楽しく生きてくれる日が来ると、言い聞かせているのではなく、心の底から信じてくれていました。それが私にも伝わってきていたので、私もどこか安心していたのかもしれません。
不安定な精神状態ではあったけれど、両親が明るかった事と、「学校へ行け!!」と恫喝すること無く、信じて見守っていてくれていたことが、私も自分をあきらめること無く、結果として社会に出て、活躍?出来ていることにつながっているのだと思います。
つまり
「学校へ行け」といわれて行けるなら、不登校にはなりません。
ご両親がすべきことは、自分を律して、子供を信じて、社会に出れるスキルを身につけさせてあげる事と、それを子供に自覚させることです。
子供の人生は子供のものです。それを子供に自覚させてあげてください。親は子供を一生守ることはできません。自分を守るのは自分です。自立させることが、一番の教育だと信じています。
私は6歳の娘にも、「18歳になったら一人で暮らすんだよ」と話していますw
これからも、不登校児童のご両親の迷える心が少しでも前に進むようなブログを、ひっそりとではありますが、綴っていきたいと思っています。
ほな!!