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不登校(いじめ以外)の一歩

不登校にも分類があって

“いじめ”は別格

これは、行かせなくて良い

親が出ても良いし、転校も良い

戦うとか逃げるとか、とにかく策を練る事が最善だと思います

でも、私は不登校の中には「依存型」や「かまってちゃん型」や「怠惰型」も多くあると思っていて

私は典型的な「依存型」だった

風邪をひいたタイミングで母親が仕事を休んでくれた 次の日は風邪は少し良くなっていたのに母親と過ごせて楽しかった 次の日、学校に行けたはずなのに「行きたくない」と駄々をこねたら休めた その次の日はズル休みしてしまった事が心にほんの少しだけ影を落としてしまい学校に足が向かなくなってしまった

そしてそのままズルズルと不登校になってしまった

もちろん子供ながらにそんな理由で大人達を困らせるのはダメだと分かっているからそれらしい理由は常に添えた

友達から無理難題を言われている、であるとか、友達の喧嘩に巻き込まれてしんどいとか、友達がいじめられているのを見てこころが痛むとか、なにかしら大人の顔色を見てちょっと難しい理由をつけた

今思えば、休み初めて3日目のあたりでなんとか食いしばって踏ん張って、学校へ行っていれば不登校にならなかったのではないか、、、と、思う

「依存型」「かまってちゃん型」「怠惰型」は、あとになると「あそこで踏ん張っとけばこんなに大事にはならなかったかもしれない」という、ターニングポイント的なものがいくつかあると思う

私は小学校ではそのターニングポイントで踏ん張る事ができなかった

その時は立ち向かう意味も意義もわかっていないから当然といえば当然なんだけど

親は、今、目の前の子供の向こうに広がる「未来」を見据えて、今の対応をしなくてはいけないと思う

5年後、10年後、20年後の我が子が、何をしていたいのかを子供と一緒に想像してそれが実現できるように導けたら最高

学校に行けるようになることを目標にしてはいけない

学校はサラリーマン養成所だとでも諦めて、社会人に必要な教育を別で受けられる環境を整えてあげればいいと思う

でも、不登校の子ども達はどこか後ろめたくて心の底から笑えない子が多いのも事実

普通に学校に行き続けてほしいなら、子供のターニングポイントを見極めて、一緒に踏ん張る事が必須

SNSで「今朝も起きてくれない」とか「夜は 明日は学校いく! と張り切るのに朝になるとだめ 分かってるけど辛い」みたいなのをみかけるけど、そこじゃない。そこじゃないんだ。

親は親の職務を全うして、社会で輝くべきだ!

子供と一緒に落ち込んじゃダメ!!

子供は、親の背中を見ている

親の背中を、見ているのだ

ほな!

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子育てのこと 未分類

もうすぐ結婚10周年

義両親と義姉も一緒に住んでいるというちょっと特殊な環境の私

幼少時代の人見知りと、コミュ障を思い出すと、自分でも信じられない環境で生活している

旦那より義姉とのほうが会話が多いし、短髪すっぴん日焼けズボラ な義姉は小姑というよりむしろ2人目の旦那というか、、、

「ラブリーが嫁に来て10年なんて思えねぇな。そんなに一緒にすんでるかー」って言うから

「いつまでもマンネリしない新鮮さがある っていう夫婦の会話という事でいい?w」と返しても、変な空気にはならないから大したもんだw

旦那にも家族にも不満はあるしイライラもするし泣くこともある

それでも、不登校で家で悶々としていた頃を思い出すと、周りへの感謝が湧き出てきて負の考えはすこし引っ込む

不登校の子ども達に共通して圧倒的に足りないもの

それは、感謝 だ

これはもう間違いない

感謝の気持ちというか、感謝の念というか、これが足りないと自分を追い込む事になる

視野が狭くなってマイナス思考になって負のスパイラルがはじまる

そこに一筋の光をさせる可能性があるのは「感謝する」これしかない

親への感謝

友人への感謝

先生への感謝

服を作ってる人とか、野菜を育ててる人とか、シャンプーを開発してる人とか、携帯を発明した人とか、電気会社の人とか、水道設備の人とか

自分が引きこもって親に迷惑かけてでも、毎日「明日どうやって生きるか」を心配せずに生きていける要因になっている「当たり前の生活を守ってくれている人たち」に感謝できるようになってくると、学校にも行けるようになるし、むしろ行かなくても生きていけるようになると思う

感謝

ほな。

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仕事のこと 子育てのこと 未分類

自己犠牲?

好きなことを仕事にするか

仕事は収入のためと割り切って、プライベートで好きなことをするか

究極の選択 みたいだけど

私はまよわず 前者

だって仕事もプライベートも充実させるためには、前者しかありえないから

好きな仕事して、プライベートでも好きなことしたらいい と、思ってます

子供ができたら、なおさらそう思ってるまである

子供は親をよく見ているから、親が楽しそうに生きていたら自分も楽しそうに生きていくだろうし、親が悲観的ならその思考が入り込む

近くにいるからどうしても見ちゃうのだけど、義姉をみていると義両親の影響の、しかも悪いところの影響をモロに食らっている

可愛そうなのが、親がそれに気づけていないところ

義姉の一番近くにいる義両親の影響を受けている事に気づいていないか、うすうす気づいているけど気づかないフリをしている

生き方が、自己犠牲を正当化して、不幸を世の中のせいにして、自分を変えない という、不幸まっしぐらの生き方

不幸というのは、他者評価じゃなくて自己評価としての 不幸

死ぬときに「幸せだったな」「もう一度生まれ変わっても自分でありたいな」という、幸せな気持ちで死ねないのではないか という意味での、不幸

私は「苦労したけど、面白かったし幸せだった 楽しい人生で満足だ この時代に生まれて生きることができて感謝しかない」という気持ちで死にたいから、そこにそぐわない事はしたくない

仕事って、どんな仕事してもそれなりの苦労もあるし、人間関係も複雑だよね それは、好きな仕事でも割り切った仕事でも一定の苦労はある

プライベートも、一定の楽しさと一定のマンネリと一定の辛さがある

だったら、仕事は好きな仕事をしたほうが充実を感じる事が多い気がする 人に話したくなる仕事が多くなる気がする

好きな仕事で努力すると本当に楽しい

成功したらとても嬉しいし

失敗しても成功に繋げられそうな気がするし

勉強も楽しい

嫌な仕事を収入の為に何十年も続けている人は狂気の沙汰だし、それはもうむしろ好きなんだと思うw

私は好きな仕事で四苦八苦している姿を娘たちに見せたい、むしろ見せつけていきたい

おかあちゃんは好きな仕事を楽しくしながらあなた達をそだてたのよ 苦労もしたけどずっと楽しかったよ だって好きな仕事しながら大好きなあなた達と過ごせて最高の人生よ

って、言いたい

そして、あの子達が子育てを始めるころには、少子高齢化が超加速していて、専業主婦になることは難しいかもしれない

そのときに、おかあちゃんを思い出してほしいんだよなー

「自己犠牲で嫌な仕事も我慢して私達のために苦労してくれたんだから、年寄の愚痴ぐらいきいてあげなきゃ」

ではなく、

「おかあちゃんいつも忙しそうだったけど、楽しそうに笑ってたな どうしたらそんなふうになれるのか、話しききにいってみよう」

がいいな

よし、はたらこう

ほな