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義母からの嬉しい一言

仕事がおやすみの日

子供を学校や保育園に送り出して

銀行にいくついでに、「今日は卵が特売だ」と義父におしえてもらい、お一人様一つの卵を1パック買い、帰宅

その日は、夕方娘の習い事があるので、習い事から帰宅してからすぐに夕飯になるように準備しておかなきゃな なんて考えながら掃除したり洗濯したり、、、

義姉も偶然仕事が休みで、これから義母と出かけるという

いないほうが気が楽だから ラッキー♪ と思っていた

「行ってくるねー」と玄関から義姉の声

「いってらっしゃい 気をつけてね」と返事

「おーい!ラブリー!!」と義母によばれ 慌てて玄関へいくと

「ラブリーもたまには息抜きに出かけておいでね」

「!!!!!!」

もう、びっくり

わざわざ呼んでそんな事を言う人では無いはず、、、

でも、義母の一言は私の心をかなり軽くしてくれた

「残業ばかりして身勝手な嫁 家の事も中途半端、庭仕事も手伝わない使えない嫁 料理もいまいち 家事もいまいち 気が強くて好きになれない」

そう思われている自覚があるから ずっとしんどかった

家族の中に自分を好きじゃない人がいるのは本当にしんどいのです

自分を理解しようとしてくれない人と暮らす、しかも絶対的な上下関係がある しんどい マジで

同居なんて解消すればいいのに

自分で選んだ道だから

家のローンがあるから

光熱費の支払い私のクレカだし

子供が悲しむかも

一生恨まれて生きるのしんどい

などなどなどなど、、、、、

同居を解消できない理由を並べ立てて、自分に言い訳して、ここまで我慢してきたのです

また、ここに詳しくかきたいけど、本当に信じられないぐらい昭和の考え方を押し付けてくる義両親 しかも「良かれと思って」

今は、平成すら終わって、もう令和なのです

年功序列で給料があがるわけでもないし、女だけが子育てと家事をする時代じゃない 

そんな日常の中での、義母からの一言

自分たちがでかけまくってるから、嫁が家で家事をしていると思うと少なからず罪悪感があるのかもしれない

だって、自分の娘は一切の家事をせずに自由に過ごしているのだもの

だとしても、心が軽くなるありがたい一言をいただきました

令和の昭和の嫁、がんばれそうです(←ちょろいw)

あ、結局息抜きにはでかけてませんけどねww

ほな!

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母ちゃんのこと

私の母親は実に波乱万丈な人で

数奇な運命に翻弄され、苗字は4回変わっているらしい

離婚と再婚を繰り返したのではない(そんなにモテナイw)

結婚は父との一度だけ 離婚歴も無い

母のお母さん(私の祖母)は 比較的恵まれていたらしい

そして比較的お金のある比較的名家に嫁いだらしい

でも嫁いだ家に馴染めなくて 嫁ぎ先を飛び出した

もちろん、離婚された

そしたら、お腹の中に赤ちゃん(私の母)がいることがわかった

悩みに悩んで、父親のいない子にするのは可愛そうだと

なんと、飛び出してきた家の元嫁ぎ先の長女として戸籍に登録した (苗字1つ目)

どうやってそんな事ができるのか今となってはなぞでしかないけれど、母は比較的名家の長女となった

しかし、そんなものはすぐにバレて、大目玉を食らい籍を抜いた

そして、一度母の母の実家に養女として籍をいれた(苗字2つ目)

その後、母の母が再婚し、これまた嫁ぎ先の養女として籍をいれた(苗字3つ目)

養女?なぞだけど、そうだったのだそうだ

母の母が再婚したのは、戦争で片足を失くした人だった

母は、自分の母が子連れで有ることに後ろめたさを感じているのではないかと、一生懸命尽くしたそうだ まもなく弟、妹が生まれ5人兄妹となった 

母は、母親を大切に思い、母親と二人きりでのんびり過ごす日を夢見て母親と義父と義祖母に尽くした

中学卒業と同時に県外に”奉公”に出ることになった お医者さんの家の家政婦だった

幸い家事は一通りできるし健康であったため、重宝がられてかわいがってもらったそうだ

給料の殆どを実家に仕送りしていた母に、雇い主のお医者様のおばあさまがとても目をかけてくれた 母はそのおばあさまの介護要因として雇われていたのだと思う

途中、実家の弟から連絡があったそうだ 「進学するにあたり戸籍を見た なぜ、姉ちゃんは長女じゃなくて養女なんだ なぜ、妹が長女となっていのだ」と

弟妹たちからすれば、長女であり進学もできたはずの姉が奉公にでて 足の悪い父の代わりに働いて仕送りしてくれている なぜ?と思っていたのかもしれない

そのころ家族と離れていたために、その事がバレて家族の空気がどうだったのかなどは母には分からないそうだ

10年以上勤め上げ、母が26歳になったころ、おばあさまが亡くなった そこで少々の退職金をいただき 解雇となり実家に戻った

当時の26歳といえば、少々行き遅れ もう結婚は諦めていたという 夢であった母親との暮らしを実現するときがきた、と楽しみでもあったらしい

戻って半年経った頃、お見合い話が持ち上がった

こんな行き遅れを貰うなんて物好きいるわけないけど、こちらから断るのもバツが悪いから行くだけいこう と、お見合いの日を迎えた

先に会場についていたのは母の方 遅れて相手方が到着

1つ年下の男性がお相手と聞いていたけど、やってきたのはだいぶ年上のおじさん 「だまされたぞ」と母の母が耳元で囁いた

まぁ、そんなものかな、とため息をついた

「遅れてすみません」とガッシリとした精悍な男性が現れて席についた

これには、母も、母の母も、グッときたそうで・・・w

話はトントン拍子にすすみ、お見合いの半年後に結婚♡(苗字4つ目)やっと、母は安息の地を手に入れたのだそう

実家の居心地に勝つ嫁ぎ先なんて絶対に無いと思う 核家族なら別だけど、同居の嫁は絶対に実家が最高だったと嫁いでから気づく

でも母は、嫁ぎ先が最高の自分の居場所なのだそう

義足の父に気を遣うこともなく、雇い主に配慮することもなく、自分が自分らしくいても良い場所が、嫁ぎ先だった

恵まれていると、幸福を感じる事が少なくなるらしい

母は、その境遇から、結婚後の幸福感じ率が振り切れている

娘が登校拒否児になっても、夫が入退院を繰り返しても、息子が事故で大怪我しても、もうひとりの娘が10年間反抗期に突入しても、何もかもが楽しかったのだそうで…

ドMの神様

みたいな人です 尊敬です

私も、相当なドMだと、周囲には言われますが、遺伝でしたww

遺伝子には逆らえなってことですね