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私が多角的な視点をもつことの大切さを子供に伝え続けている理由

「先生が私の事を嫌いな気がする」

って、4年生の長女が私につぶやきました。理由を聞くと、言動が冷たい時がある。体育などのルールが自分のチームに理不尽に不利だと感じる。話を聞いてくれない(「はいはい」などと流される)など、、、

そう感じてしまうことは悪いことではないし、先生にも未熟な部分があるのかもしれないとは思いつつ、、、私がここで子供に教えたいのは、自分が見ている(感じている)ものが全てではない

ということ。なのでこう伝えました。

「先生も人間だから、お家で嫌なことがあったかもしれないし、もしかしたら校長先生に怒られたあとかもしれない。自分が気づいていないだけで先生との約束を守っていないとかも考えられるよ。自分が正しいとは限らないから、先生に嫌われていると決めつけずに先生とお話してみたら?」

もちろん「嫌だよそんなの。先生にそんな話できないし」と一蹴されましたw

「ママはなんでその髪型でその髪の色なの?」

答え「信頼できる友達に今のママに一番似合う髪型と色にしてもらってるんだー」

私、少し派手な髪色なんです。

もう10年以上、友人が開業した美容室でスタイリングしてもらっています。はじめのうちは自分の希望を言って、それに近づけてもらっていて毎回それなりに気に入っていたんですが、ある時から「髪型って、自分が満足するより、他者評価が大切なのでは??」と思うようになり、完全にお任せ する事にしました。

「いい感じに、一番似合うように、今っぽくよろしくーー」と。それが私に似合っていて、本当に素敵なら「髪いいね!」声がかかるし「美容室どこ?」と聞かれるから、そしたら目一杯友人のお店のCMをすることにしています。

不思議と、自分でオーダーするよりも声をかけられる事が増えました。

ときには誰かを信じて、自分の感性以外を信じることが必要だと思います。

誰かの感性を信じることで自分の感性も広がっていくから、良いことしかありません。

「自分らしさ」に固執している人は、99%以上「ダサい」でしょう。(残りの1%以下の人が超成果を上げるカリスマなのかも)

東大生の親は年収が高い

義務教育に続き、幼児教育無償化、高校も無償化に。大学も世帯収入や資産の要件を満たしていること、などの条件はありますが少しずつ無償化に向けて舵をきる方向のようですね。

自分の立場から、つまり1つの方向からしか物事をと捉えられない人は

「私は奨学金で大学に行って今も返しているのに、今更無償化なんてズルい」

「私は高い保育料支払って必死に子育てしたのに、今の親は保育料無料なんてズルい」

「大学を無償化にする税金があるなら他に回すべきだ」

などなど、いろいろな意見が出ると思います。

でも、その人達は知っているのでしょうか。

  • 東大生の親の60%以上が年収950万円以上である
  • 日本の人口減少の要因が「子供を育てるのにお金がかかるから」である
  • 約40年後には日本の人口が約8500万人になる
  • 高齢化が加速すると消費の標準が高齢者になるので新しい文化は取り入れられず、日本がオワコンになる
  • 平成の約30年間、日本のGDPは上がっていない
  • 日本が衰退している原因はテクノロジーの進化についていけていないから
  • テクノロジーの分野で躍進できる人材が育たなかったのは学力の低下が原因
  • 日本一の東京大学も世界では39位、京大は68位

他にも人口減少と高齢化にはたくさんのリスクがあります。

その中で、日本の学力低下が日本の成長を止めていることに手を打つための対策が「学費無償化」なのです。

ここまで知ってもまだ「ズルい」なんて幼稚な事を言う人とは関わるのをやめましょう。時間の無駄です。

東大生の親が年収が高いのではありません。年収が高いから東大に行けるだけの学力を身につけさせる事ができる(塾に通わせる、家庭教師をつけるなどの環境を整えることができる)し、年収が高いということはそれだけ社会貢献している賢い親なので、東大に通うメリットやそのための概念を子供に教えるだけの知恵が備わっているのです。東大生の親が金持ちなのではなく、お金を稼ぐ力のある親だから子供を導くことができている率が高いのだと解釈しています。

私は子供を東大に入れることはできないでしょう。それでも社会貢献できる子供を育てたいし、自分の幸せを自分で作っていける大人になってくれるようサポートし続けるつもりです。

複雑なものを単純に理解して、わかったつもりになるのは恐ろしい勘違いを生みます。そんな癖を子供につけないようにきをつけなくっちゃ。

来週は美容室にいくぞ。どんな髪型にしてくれるか今から楽しみ♪

ほな!

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”ジョハリの窓”の「盲目の窓」に注目する事にしたらびっくりするほど視野が広がった

ジョハリの窓について

まずは ジョハリの窓 をググっていただくのが手っ取り早いですが、超ざっくり解説すると

コミュニケーションにおいて自分をどのように魅せるかを提案する考え方で、心理学者の「ジョゼフ」さんと「ハリー」さんが提唱したので「ジョハリの窓」と呼ばれています。

この窓は4つに分かれていて

「自分の理解」と「他人の理解」の有無で分けられています。

「自分も他人も理解している自分」=「開放の窓」

「自分は理解しているけど他人は理解していない自分」=「秘密の窓」

「自分は理解していないけど他人は理解している自分」=「盲目の窓」

「自分も他人も理解していない自分」=「未知の窓」

開放の窓

自分が自分に対して思っている事と、他人が自分に対して思っていることが一致している部分の自分が、ここに当てはまります。

「私は明るくて誰とでも仲良くなれる」という自己評価と、「あなたは明るくて誰とでも仲良くできるね」という他者評価が一致している部分の自分。これが開放の窓に当てはまる自己です。

「自分は陰険なところがあるな」「あの人、陰険よね」というマイナス評価も自分と他者の評価が一致していればここに含まれます。

秘密の窓

自分だけが知っている他人に見せない自己の部分がここにあたります。

他人の前では明るく朗らかだけど、家では笑うこともなく根暗。とか、他人からは「あの人はとてもポジティブで悪口言ってるところを聞いたことが無い」という人でも、実はツイッターの裏垢でアンチコメしまくってストレス発散してる、、、このことは誰にもナイショ。といった、自分だけが知っている自己の部分です。

悪ぶってるけど親孝行。なんていう良い秘密の自己を持っている人も多くいると思います。

未知の窓

自分も、他人も気づいていない、まさに未知の自分です。

本人も他人も気づいていない意外な才能とか、

ひょんな事で目を覚ますサイコパスな部分とか、、、

良くも悪くも、誰でも未知の自己が眠っているのでは無いかと考えられています。

盲目の窓

私が注目しているのはここです。

自分には見えていないけど、他人からは見えている自分。

自分では頑張っているつもりでも他者の評価がついてこないとき、ここの窓に当てはまる自己が悪さをしているのではと思うからです。

自分の事はわからなくても、隣の人を見るとよくわかります。

自己評価「明るく元気」→他者評価「うるさくて仕事の邪魔」

自己評価「根暗で仕事が遅い」→他者評価「真面目で実直」

このように良くも悪くも、自己評価と他者評価がずれている部分、これが盲目の窓に当てはまる自己です。

自分ではフレンドリーな接客をしているつもりでも、見る人がみたら「気分で態度が変わる品が無い店員」と思われている可能性はないでしょうか。

自分は子供に一生懸命教えているつもりでも、他者から見たら「あんなに口やかましく注意されたらあの子はやる気を無くすだろうな」と評価されている可能性も。

おそらく、なんだかんだで、他者評価よりも自己評価が高い人のほうが多いのではないでしょうか。

例えば、、、

自分は誰よりも早く職場に来ている。誰よりも長い時間働いているのだから評価されてもいいはずだ。という自己評価でも、、、

あの人、なんで無駄に早くきてるの?短時間でどれだけ成果出すかが大切なんだ。という上司の他者評価だったとしたら、、、

盲目の窓の自分に早く気づいて方向転換しないと、いつまでも無駄な努力をし続ける事になります。

そう、盲目の窓の自己は、無駄な過大自己評価した自分が当てはまっているような気がしてならないのです。ジョハリの窓について学べば学ぶほど、恥ずかしい気持ちになってくるのです(汗)

まずは、松下幸之助さんが何度も何度もおっしゃているように「素直な自分」になって、他人から評価されやすい自分になることが大切だと感じています。去勢を張って見栄を張って「なるべく注意されないように、マイナス評価をうけないように、自分を大きくすごい人にみせるんだ!」こんな人は他人の話に耳を貸さないので「あの人には何を言っても無駄だよ、どうせ反論してくるし、言う事きかないから」と評価され、一生「盲目の自己」を知ることができません。つまり、一生無駄な努力をし続けて生きていくことにすらなり得るのです。

一度きりの人生。有限な時間を有意義に使って楽しく幸せな一生を歩くには、盲目の自分とたくさん向き合って成果を出して、他者貢献して行くのがいいな、、、と私は思うのです。

「他人の評価ばかり気にして生きるのはつまらないよ」

それもごもっともです。

評価ばかり気にするということではなく「裸の王様」は嫌だなぁ。と思うのです。

だから、自分と向き合ってゆきます。

ドMか?ただのドMなのか???

ほな!!

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「やられて嫌なことはしない」という教育ではだいぶ足りない

子供をみていてこんな事ありませんか??

  • お友達に嫌なことを言われてモヤッとした
  • 兄弟、姉妹でわざと傷つくようなことを言い合って喧嘩している
  • やられたから、やりかえす
  • 強いひとに言いつける(告げ口)

ドラマでも「やられたらやりかえす!!」という事が正しいとされ、人気を博した物がありましたね。

漫画でもドラマでも、悪をやっつけているようでスカッとすると思います。

でも、現実世界で「やられたからやりかえす」でスカッとするでようか?本当の意味で心が晴れやかになりますか??

自分の子供が「お友達に嫌なこと言われたから、もっと嫌なこと言い返して傷つけてやった!」と胸を張っていたら、親として「よくやった!!」となりますか??

私は、なりません。「あぁ。同じ穴のムジナになってしまったのか、、、」と、かなりがっかりしますし、どうやったら正しい考え方を理解してあげられるのかと焦りますし、今までの教育を反省しまくります。

やられたらやり返して盛り上がってすっきるするのは、ドラマや漫画の中だけです。

私は嫌な言い方をされたり、へんな態度をとられたら、こうすることにしています。

思いっきり人格者になる

私が見つけ出した最強の対応策です。

どんなに嫌な対応をされても、どんなに嫌味を言われても、こちらは「最高の人格者」のような対応をし続けるのです。

はじめのうちは、モヤッとするかもしれないし、イライラさせられると思います。その、イライラを抑えまくって、誰が見ても”寛容で優しくて素晴らしい”対応を取り続けるのです。

横暴で嫌味な人というのは遅かれ早かれ噂になったり上司や先生の目に止まることになります。その時、相手がどんな対応をしたのかによっては”嫌な奴度合いの軽減”になりかねません。

具体的に言うと

嫌味な態度に嫌味な態度でかえしていたら、”両成敗”になりかねないということです。

A:「お前の家、貧乏なんだってな!」という誹謗中傷にたいして

B:「お前の家だってゴミ屋敷じゃないか!」と、応戦していたら

先生は「ふたりともお友達を傷つけているんだから、ふたりとも謝りなさい」と指導するでしょう。はじめにどっちがいいだしたのかで罪の重さを変えてはくれないでしょう。

しかしこれならどうでしょう。

A:「お前の家、貧乏なんだってな!」という誹謗中傷にたいして

B:「貧乏かどうかはよくわからないけど、家族なかよしだから楽しいよ^^」先生に怒られる可能性があるのは、A 一人だけです。(その場では怒られないかもしれませんが。)

周囲で聞いていたお友達も「Aは嫌な言い方したな。Bは怒らずにやさしいな」と感じるはずです。AとBには、人間関係で差がうまれるのは間違いないでしょう。Aが上質な友人を持つことはなかなか難しいかもしれません。漫画なら、別ですが。

大人になっても同じことです。

いつも嫌味な同僚に、はやり嫌味な言動で応戦している人は、周囲からみていたら同じ人種同士が争っているようにしかみえず、なにか揉め事が起こったときには両成敗となるでしょう。

嫌味な相手には「最高の人格者となる」事が必須です。

もちろんこちらも人間なので、つい応戦してしまう事もあると思います。それでもこの事を心に留めているのといないのとでは確実に対応が変わります。

参考:学校での出来事

娘が学校で怪我をしました。全治2ヶ月ほどのそこそこの怪我です。クラスメイトがじゃれ合っていて、近くにいた娘にぶつかってしまい、、、という流れで、じゃれ合っていたクラスメイトは2人いて一人はわざとお友達を押しているので、娘は被害者、わざとお友達を押した子が加害者 という明確な仕分けができていました。

校長、担任、親、本人がその日のうちにお見舞い金と菓子折りを持って挨拶にきました。車は見えないところに停めて、自宅に横付けしないように配慮もしていました。恐縮する思いもありつつも、「謝りに来られても怪我が早く治るわけじゃない」という気持ちも少なからずありました。

実際、娘はそれから数日、痛みで眠れず、私もそれをなだめながら徹夜。痛みで泣きじゃくる娘。習い事の発表会を欠席するしかなく、頑張った成果を発揮できず悔し泣きする娘。自分が悪いわけじゃないのがまた悔しい。という様子でした。

怪我したところが元通りになるのかも不安でした。

それでも、歯を食いしばって「怪我をした人より、させてしまった人のほうが心は痛い。自分が悪い、自分がいけない。と自分を責めてすごすし、親からも先生からも怒られいる。怪我をした人はみんなに心配してもらって優しくしてもらえる。だから、怪我をさせてしまった相手を気遣うことが大切」と教えました。

そして、怪我がほぼ治ったあと、相手のご両親宛に手紙を書きました。治った報告とお見舞いの御礼、、、みたいなやつです。

「学校での過ごし方をもっとちゃんと教育してほしい」という気持ちをぐっと抑えて”人格者”を気取りました。

子供もそれをみています。自分の親がクラスメイトの親をなじっているところをみたい子供はいません。子供を教育するのは親の役目ですから、相手の子供を叱るのは相手の親の役目です。履き違えてはいけないと自分を律しました。

イラッとしたら人格者になれ!!!!!!

よし、今日も頑張れる!!!

ほな☆