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家族のこと 未分類

母ちゃんのこと

私の母親は実に波乱万丈な人で

数奇な運命に翻弄され、苗字は4回変わっているらしい

離婚と再婚を繰り返したのではない(そんなにモテナイw)

結婚は父との一度だけ 離婚歴も無い

母のお母さん(私の祖母)は 比較的恵まれていたらしい

そして比較的お金のある比較的名家に嫁いだらしい

でも嫁いだ家に馴染めなくて 嫁ぎ先を飛び出した

もちろん、離婚された

そしたら、お腹の中に赤ちゃん(私の母)がいることがわかった

悩みに悩んで、父親のいない子にするのは可愛そうだと

なんと、飛び出してきた家の元嫁ぎ先の長女として戸籍に登録した (苗字1つ目)

どうやってそんな事ができるのか今となってはなぞでしかないけれど、母は比較的名家の長女となった

しかし、そんなものはすぐにバレて、大目玉を食らい籍を抜いた

そして、一度母の母の実家に養女として籍をいれた(苗字2つ目)

その後、母の母が再婚し、これまた嫁ぎ先の養女として籍をいれた(苗字3つ目)

養女?なぞだけど、そうだったのだそうだ

母の母が再婚したのは、戦争で片足を失くした人だった

母は、自分の母が子連れで有ることに後ろめたさを感じているのではないかと、一生懸命尽くしたそうだ まもなく弟、妹が生まれ5人兄妹となった 

母は、母親を大切に思い、母親と二人きりでのんびり過ごす日を夢見て母親と義父と義祖母に尽くした

中学卒業と同時に県外に”奉公”に出ることになった お医者さんの家の家政婦だった

幸い家事は一通りできるし健康であったため、重宝がられてかわいがってもらったそうだ

給料の殆どを実家に仕送りしていた母に、雇い主のお医者様のおばあさまがとても目をかけてくれた 母はそのおばあさまの介護要因として雇われていたのだと思う

途中、実家の弟から連絡があったそうだ 「進学するにあたり戸籍を見た なぜ、姉ちゃんは長女じゃなくて養女なんだ なぜ、妹が長女となっていのだ」と

弟妹たちからすれば、長女であり進学もできたはずの姉が奉公にでて 足の悪い父の代わりに働いて仕送りしてくれている なぜ?と思っていたのかもしれない

そのころ家族と離れていたために、その事がバレて家族の空気がどうだったのかなどは母には分からないそうだ

10年以上勤め上げ、母が26歳になったころ、おばあさまが亡くなった そこで少々の退職金をいただき 解雇となり実家に戻った

当時の26歳といえば、少々行き遅れ もう結婚は諦めていたという 夢であった母親との暮らしを実現するときがきた、と楽しみでもあったらしい

戻って半年経った頃、お見合い話が持ち上がった

こんな行き遅れを貰うなんて物好きいるわけないけど、こちらから断るのもバツが悪いから行くだけいこう と、お見合いの日を迎えた

先に会場についていたのは母の方 遅れて相手方が到着

1つ年下の男性がお相手と聞いていたけど、やってきたのはだいぶ年上のおじさん 「だまされたぞ」と母の母が耳元で囁いた

まぁ、そんなものかな、とため息をついた

「遅れてすみません」とガッシリとした精悍な男性が現れて席についた

これには、母も、母の母も、グッときたそうで・・・w

話はトントン拍子にすすみ、お見合いの半年後に結婚♡(苗字4つ目)やっと、母は安息の地を手に入れたのだそう

実家の居心地に勝つ嫁ぎ先なんて絶対に無いと思う 核家族なら別だけど、同居の嫁は絶対に実家が最高だったと嫁いでから気づく

でも母は、嫁ぎ先が最高の自分の居場所なのだそう

義足の父に気を遣うこともなく、雇い主に配慮することもなく、自分が自分らしくいても良い場所が、嫁ぎ先だった

恵まれていると、幸福を感じる事が少なくなるらしい

母は、その境遇から、結婚後の幸福感じ率が振り切れている

娘が登校拒否児になっても、夫が入退院を繰り返しても、息子が事故で大怪我しても、もうひとりの娘が10年間反抗期に突入しても、何もかもが楽しかったのだそうで…

ドMの神様

みたいな人です 尊敬です

私も、相当なドMだと、周囲には言われますが、遺伝でしたww

遺伝子には逆らえなってことですね

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政治ってよくわからないけど・・・

岸田内閣が発足しましたね

連日、新聞やYou Tubeを賑わして、賑わすだけ賑わしておいて

岸田さんかーーーーい、、、

広島大好き、外務大臣なのに、外国行かずに広島帰ってたイメージ

嫌いとか、アンチとかではないです

でも

おじさん達中心で世界が回ってるから、おじさん都合で法律決めちゃうから、日本の人口は増えないし、戦争はなくならないし、慰安婦問題は解決しないし、拉致問題も解決しない

女の忍耐強さとか、情の深さとか、懐の大きさ?深さ?とか、おじさんにはわからんだろうな

生理も、妊娠も、つわりも、出産も、授乳も、経験せずに、なぜ大きな顔で権力振りかざすのか

女性はそれらを経験したらしたでHP爆上がり

経験しなかったらしなかったで精神力削られたり誹謗中傷されたりしてHP爆上がり

働いてお金稼いで権力争いに勝てば正義! っていう価値観のおじさんたちとは価値観がちがう

野田聖子さんが良かったとか、そういう単純なことでもないけれど、権力大好きおじさんに、期待はできないなと思う

金融緩和とか難しい事してくれてるのはわかるけど、女も女で色々緩和して生きてるからね金融ぐらいは頑張ってもらわないと

政治は、私がここで憂いてもまったく意味が無いのでこのへんでやめておきます

今日の新聞読み忘れた、、、どっかの県では強盗殺人事件がおこったようです マンガの中だけじゃない

まさに「事実は小説よりも奇なり」

ですね

一刻も早い犯人逮捕を祈ります

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ラブリーについて

はじめまして。ラブリーと申します。

女の子2人の母であり、自称イケメン(ジャニーズの一次試験に合格したとかしないとか)の旦那様の妻であり、義両親と義姉の同居の嫁であり、小さな小売店の管理職をしているアラフォーです。

ブログ初心者。

自己紹介は時系列で箇条書きにします。読み流してください^^

・19XX年 N県のど田舎の村に生まれる

・姉、兄、自分の3人の末っ子

・保育園の登園時は必ず大泣きしてお母さんから離れられないタイプ

・6歳からピアノ教室へ通う 同時に姉兄の影響で剣道教室へ入会

・比較的活発で通知表はオール◎ 友達も多い

・小学3年生の秋、登校拒否開始 自律神経失調症と診断される

・母親がカウンセラーの先生をみつけてくる 

・4年生からの担任の先生が百人一首を推すおじさんで、影響されて百人一首が好きになる

・5年生では、進級判断に必要な100日を超える年間欠席日数

・6年生の養護教諭(激しいおばさん先生)と運命の出会い

 人としての在り方など人間としての指導を受ける

・中学校入学から隣町に引っ越すことになり、環境が変わったことにより、何事もなかったかのように中学デビューすべく登校スタート

・順調にみえたが、中2の秋から登校できず

・3年生に進級すると同時に、登校再開(高校にいきたくなった)

・私立の進学校に入学 このあたりでカウンセラーの繊細から卒業

・高校3年間、部活と恋を謳歌しまくる

・進学せず、希望職種へ就職

・転職数回を経て現在の会社へ(小さな小売業:クセ強上司)

・結婚、出産を経て、現在に至る(職場では管理職)

自分が子育てをしながら働く日々で、登校拒否を繰り返す娘をどんな気持ちで育てていたのだろうと母親を尊敬しない日は無いです。

父は明るく社交的な人だったけど、子育てには細かいことは言わず私のことを諦めずに、見守ってくれていたことが今はわかる。

長く登校拒否しつつも、社会に出ることができたことに感謝しつつその経験を文字にしていこうという気持ちと、

現在、義家族(かなりクセが強い、ひどい)との令和ではなかなかありえないやり取りやストレスを綴ることで、勇気が湧く人がいるかも知れないという思いで、ブログをはじめてみようかと。

よし、書くぞ。