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成果を残せた!成果を出すために必要な事

年明けに、とある仕事で成果を出して上司から隠れボーナスもらいました

日々、みんな一生懸命仕事してる人が殆ど。

「こなした仕事の数」は、日々たくさんあるでしょう。

じゃなくて、「成果を出せた仕事の数」となると、どうですか?

言われた仕事をやる、決められた仕事をやる、それは、当たり前。お給料貰っている以上、当然の事。

成果を出すってどういう事??

私の中での「成果」は、「リスクを取って、責任を果たす覚悟で成功させた仕事」だと思っています。

上司や先輩に言われてこなす仕事に”リスク”はありますか?”責任”をとる覚悟で挑んでますか?

言われてこなしている時点で、”リスク”も”責任”も負うべき仕事では無いことがほとんどではないでしょうか。

自らリスクを取って、責任を負う覚悟をして挑んで、成功することが「成果」に直結するのだと思っています。

私が勤務する会社は、BLACKよりのブラック中小企業。給料も安いし仕事は多いし、社長は暴君だし、福利厚生も弱い。でも、好きなんです。この仕事が。もういい年の二児の母が毎日ワクワクしながら出社しているんですw。面白くて、仕事が。

そんな中、昨年末から注文が殺到している商品の仕入れが年始に間に合わないかもしれない。という問題がありました。お客様たちが商品を使用する日は決まっている。その日に手元に無いと意味がない。でも、もしかしたら入荷しないかもしれない。でもでも、もしかしたら入荷させることができるかもしれない。さぁ、どうするか、、、。私は受注を止めませんでした。最大限のリスクヘッジをしたあとは、入荷を信じて注文を受け続けました。年始の休みは毎晩眠れませんでした。もし、入荷しなかったら、数十組のお客様に電話をかけて、お詫びをして、代品の対応ができるのか、返金なのか、、、膨大な時間を使います。

受注をストップするのも、受注し続けるのも、私の判断でできる環境です。

私は、全ての責任を取る覚悟で、受注し続けました。

そして、なんとか全てのお客様の商品が入荷し、お届けすることができました。必死でした。そして、昨年対比150%を達成しました。

子供たちに説明し、夜も働きました。義両親から怒られました。子供に寂しい思いをさせてどういうつもりだと。それでも母親かと。

義両親の言葉は老害でしかないので割愛しますが、

子どもたちは理解してくれて、応援してくれました^^子どもたちは私の職種が好きなんです☆こころから応援してくれます。お友達に「ママの仕事素敵」といってもらえるみたいで、転職しないでほしい、と言われます。

あ、余談にそれましたね。

必死な年始を終え、会議の日。

役員の前で私だけ、社長から特別報酬をもらいました。初めてのことでした。成果を出さない他部署へのみせしめだったのかもしれないけれど、金額も多くは無かったけれど、「誰からの命令も指示も無いなか、自らの責任でここまで結果を残して、会社に利益を残してくれたことに感謝している」という言葉もかけてもらいました。

そこで、気がついたんです。今まで必死にやってきた仕事は、会社からの命令だったり、上司の指示だったり、お客様の希望を叶えたり、、、「やらされ仕事」だったな。と。

部下やスタッフを食べさせているのか会社であって、私はぶら下がっていれば食いっぱぐれない。と思っていたなー

成果を出したママは強い!今はやるべきことがわかるようになってきて、更に熱が高まりました。

よし、やるぞ。

ほな!!!

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子供も親も一人の人間。違う人生を生きている”他人”である

SNSの投稿は本音?

ツイッターの投稿に「昨日は行くと言っていたのに、朝になると起きてこない子供。精神的にきつい」「親としてやるべきことはやっているつもりなのに、不登校で心を開いてくれない子供。どうやって接していいのかわからない」というような心の叫びをよく見かけます。

匿名で気持ちを素直に入力して、同調してもらえるのはほんの少し救われたような気がするのは、なんとなく理解できます。ツイッターで愚痴ったところで、何も解決しないこともわかっているだろうし、否定されたとしても全く知らない人だし、無視できる。投稿者もどこまで本音かわからないしね。

でも、もし仮に、この手の投稿している親が本気で思っていることを垂れ流しているとしたら、思い方が違うなと感じるのでここに書いておきたいと思いました。

自分の子供もあくまで「他人」

「他人」

  1. つながりのない人。
  2. ほかの人。自分以外の人。

他人って「血がつながっていない人」のことだと思っている人多いです。

実際は「自分以外は全員他人」です。

1の「つながりのない人」というのをどういう意味で捉えるかにもよりますが、幼い子どもは、精神的に親に依存していて、親もそれに気持ちよくなっています。だから自分の付属品のように捉えている親もいるのかも。

でも、親が置かれている環境と、子供が置かれている環境は、全く違います。関わる人も考えている内容も、全く別物。

つまり、自分で産んだ子供であっても、他の人=他人 なのです。

親が幸せであっても、子供が幸せな人生を歩むとは限らないし、親が不幸でも子供は幸せに生きていくかも知れない。

子供には子供の人生があるのです。

学校に行ったほうが、人生は比較的カンタン、、、と言ったら語弊がありますが、学校に行かずして苦労せずに幸せをつかむことは、その逆よりも難しいように感じます。

もちろんいじめからは全力で逃げたほうがいいです。

逃げて転校すればいい。

親も徹底的に戦ってもいい。

でも、それ以外の不登校、、、例えば、無気力 とか、いじめ以外の人間関係とか、、、きっかけは忘れちゃったけどもうどうやって登校していいのかわからなくなっちゃったとか。

いろんな理由があると思うけど、学校に行かずに学校で学んぶより学習できる環境が無いのなら、不登校を選んだ自分の人生は比較的ハードモード寄りになると、本人が自覚したほうがいい。

親の人生は親のものであって、お前の人生はお前のものだ。

子供が不幸になっても、親だけ幸せを噛みしめることはできる。

だって、別の生き物なんだもん。不登校の道を選ぶことは自分の人生をキツイものにしている可能性が高いことをもっと知るべきだ。

日本に生まれているだけでラッキーだし、親が悩んでSNSに投稿しちゃうぐらい気にかけてくれていることに感謝だし、自分の部屋があって引き込もれる環境が天国だし、行くだけで学べる学校という環境が与えられている奇跡を噛みしめるべき。そんなイージーなハッピーライフを、自ら「不登校」を選択している時点で「超ハードモード」に切り替えてしまっていることに気づいたほうがいい。

私は、中学3年の春に気がついた。

「やばい。このまま学校休んでたら、高校行けない、、、もしくはめっちゃ偏差値低い高校しかいけない。そこで私たのしい青春が送れるのか?結婚して子供産んで、当たり前みたいな生活ができるのか?一生親のスネかじる?親のほうが先に死ぬよね。生活保護?かっこ悪くない?一度きりの人生、楽しめるか?生活保護で楽しめるか??」

焦った。かなり焦った。不登校って、ただ学校二行かないだけじゃない。人生狂う。って。

誰に何を思われてもいいから、なりふり構わず突然学校行ってめちゃくちゃ勉強した。で、一応その地域では名前の通った進学校に行くことができた。

今、不登校してる本人は気づいていないのか、気づいているけどなんとかなると、それこそ他人事なのか。

そして、親も。気づけ。子供の人生は子供のものであってあなたのものではない。割り切ったほうがいい。割り切られると、子供は焦る。かもしれない。

親も子供も、一度きりの人生だよ。

学校にいかなくてもいい。せっかくなら楽しめるように生きよう。

ほな。

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お母さんが仕事がんばって何が悪い!!娘たちよ。母の背中を見て育て。

年末年始の繁忙期終了。今の会社で16回目の年末年始だったけど、今までで一番忙しかったし、今までで一番稼いだし、今までで一番スリリングだった。というお話。

年末年始が激務でした。

あとからあとから仕事が入ってきて、必死。

海外からの輸入商材を大量発注しないと年始の仕事が成り立たない。でも、年始の入荷が不安定。どうする?どうなる?!発注先の担当者に何度も電話して、確認して、確認して、確認して、、、それでも入荷しなかったらどうしよう、、、と眠れぬ夜を過ごしながらも激務をこなし、眠れぬ夜を経て年越し。

新年早々入荷の確認をしつつ、お客様の対応をしつつ、注文を取りまくる。

そして、なんとか入荷した商品をお客様に発送するための準備を朝から晩まで。

もちろん、その間に娘は冬休みが終わり学校がスタートしたり保育園の送り迎えがあったり。

帰りが遅くなる日は義両親にお金を渡して夕飯を買ってもらったり、朝早起きして夕飯を作ってから家を出たり、、、それでも義両親に「帰りが遅い!」と怒られて、悔し泣きをしたり。

頑張った甲斐あって、年末年始の繁忙期は目標を大きく上回って達成!!

まぁ、達成したところで、何もないんだけどw

と、思っていたら、役員会議で、私だけ金一封が!!!オーナーのリアル財布からのお気持ちということで金額は寸志だったけれど、評価されたことが素直に嬉しかった。だって、辛かったもん。しんどかったもん。それでも、楽しかったもん。そんなぐちゃぐちゃの気持ちを理解してくれていたのかもしれないと思って、嬉しかった。

こんなに直接的に金銭で評価されたことがなかったので、不思議な気持ち。褒められたりボーナスもらったりはあるけど、自分だけにオーナーの財布からって、、、重みを受け止めています。

どこにも嫌な人はいるもので、、、

そんな嬉しい気持ちの裏で、、、

私だけが評価されたことが気に入らない人。います。もちろん。

私への評価は、ほんの一部の役員しか出席しない会議で行われたんだけど、それを次の日には、一人の部下が知っていた。正直びっくりした。

あの会議での個人的な内容、喋っちゃうんだ!という驚きと

妬み嫉みを隠さない罵りの言葉で愚痴られてようで、、、

評価されるということは、そういうマイナスな感情も生む。それを気にしていても無駄なので、どんどん突き放してしまおう。もう、嫉妬という感情すら抱けないほどあっとうてな成果を出していこう。だって、それはお客様の為になるし、会社に貢献できるし、自分も成長できる。もしかしたら家族を幸せにすることにつながるかもしれない。

三方良しどころか、四方良し?wかもしれない。

よし、2023年も突っ走るぞ!

娘たちよ。母をみていて。

娘たちが生きるこれからの時代は、間違いなく今より厳しい世の中だろうと思う。一般常識や専門知識、学力、健康、に加えて、「人としての魅力」がないと社会に必要とされなくなるのではないか。「わがまま」「気が遣えない」「空気が読めない」など

「コニュニケーション能力に難あり」と判断されれば、世の中に重宝されることは難しい。

娘たちには、母の「コミュ力の高さ」「諦めない姿勢」「好きなことをやり抜く力強さ」「思い通りにならなくても耐える忍耐力」を見ていて欲しい。

朝、保育園で誰よりも明るい声で挨拶する母を。

嫌な役員を押し付けられても楽しんでこなす母を。

楽しそうに仕事に向かう母を。

今日楽しかったこと!を笑顔で話す母を。

義両親になじられて泣きながらも踏ん張る母を。

仕事で評価されて浮かれる母を。

ちょっとだけ愚痴って次の日には忘れている母を。

毎日、娘たちを抱きしめてエネチャージしている母を。

ずっと見ていて欲しい。

そして、いつか社会で躓いたら、そんな母を思い出して自分を奮い立たせて欲しい。

それでも、どうしても辛いときには、相談して欲しい。逃げてきて欲しい。

それを抱きとめるだけの力のはある母になっていたい。

よし、2023年も気合入った。

ほな。