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踏み出せ!!

「マグロみたいだね」

と、言われたことがある 三人に

下ネタじゃないよw

ベッドの上のことじゃなくて…

マグロは海の中で止まることがない 止まるときは死ぬ時 らしいです

休みの日もじっとしていられない

独身のときは 

思いつきで遠出して、宿はその場でなんとかする!

一人で焼き肉もOK!

独りでフレンチもOK!!(シャンパンも飲んじゃう)

独りでどこへ行っても楽しめるし運転も好き

で、上司(男)に「マグロみたい」といわれた

仕事中もバタバタと走り回る姿をみていた部下に「海のマグロのようですね マグロって止まると死ぬらしいっすよ」と

ゆっくりするときもあるよ

でも、人生がいつ終わるかもわからないし、あと何年生きられるかわからないから、やりたいことも行きたいところもたくさんあるのに止まっていられない!!というのは大げさだけど、できるだけ多くの事を経験したいと思っています

本当はものぐさなタイプで、いつまでも眠っていられる

小学生の頃は本当にずっと寝ていたし、何もしていなかった

出かけるのが嫌いで、でかけても早く家に帰りたくて…

人見知りで人間関係を築くのが面倒で、他人にどう思われるのかにビクビク怯えていた

今の私しか知らない人は、登校拒否児で引きこもっていた私を想像できないらしい とっても驚かれる

何がきっかけだったのか、はっきりとはわからない

小さなきっかけが積み重なって、少しずつ踏み出せるようになった

義姉は「新しい携帯にしたいけど、使い方が変わるのが不便だ」といって変えようとしない

今の携帯に愛着があるわけでもなく「充電がすぐに終わる 買ってそんなにたってないのにありあない」と文句を言っている

「携帯が変わって多少不便になったところで死ぬようなことはないし、すぐに慣れるよ 思ってるほど不便なんてないから変えたいなら変えたほうがいいよ」と言っても、なかなか踏み出さない

私は、いつ、何を踏み出して、マグロになれたのかな

冬のカエルみたいだった私が…

瞑想でもして、過去の自分と向き合ってみよう

もっと踏み出せるようになるかもしれない

ほな!

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未分類 自分のこと

嫌なやつなのは自分

「○○ちゃんの嫌なところは、自分の嫌なところだよ 

鏡を見ているとおもうといいよ」

って、小学校4年生のときにカウンセリングの先生に言われた言葉で 今も毎日思い出す

嫌なところがわかるってことは、自分も同じ部分を持っているから そもそも同じ嫌なところを持っていないと「この人のこういうところ嫌だなぁ」という風に気が付かないのだそう

子供心に「え!!!!??あの子の事嫌いだけど、それってつまり自分があの子の嫌なところを持ってるからなの??嫌だーーーーー」と号泣したのを覚えている

だって、残酷じゃない?嫌いな子は自分の鏡だなんて

大人になってみて

納得

たしかに、自分が持っていない部分には気が付かない

例えば、

嫌味ばっかり言っている人は、他人の嫌味に敏感

ニキビを気にしている人は、他人のニキビも気になる

みないな感じ

嫌味を言ったことも考えたこともない人は、自分に投げかけられた言葉が嫌味かどうかすらわからない

ニキビができたことも気にしたこともない人は、ニキビの悩みにも気が付かない(かもしれない)

私は、自己評価「嫌な奴」だから、「嫌な奴アンテナ」の感度が高いw

ひとの嫌なところにため息をつくたびに、「私にもこういうところがあるんだ 誰かを傷つけているんだ」と思う

思うばかりで、なかなか改善されないままだいぶ大人になってしまったけれど

自己顕示欲が強いんだと思う

認めてほしい 褒めてほしい 評価してほしい

でも、そういう自分に気づいてからは イライラも減ってだいぶ楽に息ができています

まずは自分を知って、特に自分の嫌な部分を知って、認めてしまうことからはじめよう そうすれば今よりももっともっと楽しい人生になるはずだ

このブログも、まだ誰にも見られていないけれど

だからこと好き勝手書けるw

明日は何を書こうかな

ほな

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仕事のこと 子育てのこと 未分類

自己犠牲?

好きなことを仕事にするか

仕事は収入のためと割り切って、プライベートで好きなことをするか

究極の選択 みたいだけど

私はまよわず 前者

だって仕事もプライベートも充実させるためには、前者しかありえないから

好きな仕事して、プライベートでも好きなことしたらいい と、思ってます

子供ができたら、なおさらそう思ってるまである

子供は親をよく見ているから、親が楽しそうに生きていたら自分も楽しそうに生きていくだろうし、親が悲観的ならその思考が入り込む

近くにいるからどうしても見ちゃうのだけど、義姉をみていると義両親の影響の、しかも悪いところの影響をモロに食らっている

可愛そうなのが、親がそれに気づけていないところ

義姉の一番近くにいる義両親の影響を受けている事に気づいていないか、うすうす気づいているけど気づかないフリをしている

生き方が、自己犠牲を正当化して、不幸を世の中のせいにして、自分を変えない という、不幸まっしぐらの生き方

不幸というのは、他者評価じゃなくて自己評価としての 不幸

死ぬときに「幸せだったな」「もう一度生まれ変わっても自分でありたいな」という、幸せな気持ちで死ねないのではないか という意味での、不幸

私は「苦労したけど、面白かったし幸せだった 楽しい人生で満足だ この時代に生まれて生きることができて感謝しかない」という気持ちで死にたいから、そこにそぐわない事はしたくない

仕事って、どんな仕事してもそれなりの苦労もあるし、人間関係も複雑だよね それは、好きな仕事でも割り切った仕事でも一定の苦労はある

プライベートも、一定の楽しさと一定のマンネリと一定の辛さがある

だったら、仕事は好きな仕事をしたほうが充実を感じる事が多い気がする 人に話したくなる仕事が多くなる気がする

好きな仕事で努力すると本当に楽しい

成功したらとても嬉しいし

失敗しても成功に繋げられそうな気がするし

勉強も楽しい

嫌な仕事を収入の為に何十年も続けている人は狂気の沙汰だし、それはもうむしろ好きなんだと思うw

私は好きな仕事で四苦八苦している姿を娘たちに見せたい、むしろ見せつけていきたい

おかあちゃんは好きな仕事を楽しくしながらあなた達をそだてたのよ 苦労もしたけどずっと楽しかったよ だって好きな仕事しながら大好きなあなた達と過ごせて最高の人生よ

って、言いたい

そして、あの子達が子育てを始めるころには、少子高齢化が超加速していて、専業主婦になることは難しいかもしれない

そのときに、おかあちゃんを思い出してほしいんだよなー

「自己犠牲で嫌な仕事も我慢して私達のために苦労してくれたんだから、年寄の愚痴ぐらいきいてあげなきゃ」

ではなく、

「おかあちゃんいつも忙しそうだったけど、楽しそうに笑ってたな どうしたらそんなふうになれるのか、話しききにいってみよう」

がいいな

よし、はたらこう

ほな