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諦めていたそのとき、アドセンスの審査が通った!

苦節半年、、、

やっとアドセンスの審査が通りました!!

https://www.xserver.ne.jp/blog/google-adsense-reexamination/

上記のページに、何回アクセスしたと思う?!?!

問い合わせフォーム、、、設置した

10記事以上、、、書いた

ユーザーの悩みを解決できるか、、、分からない(TT)

一つの記事が1000文字以上か、、、多分、多分大丈夫!

広告タグの設置、、、多分大丈夫!

あと何?何が足りないの???

アドセンスからメールが来るたび、毎週落胆、、、

「アドセンス 審査 通過」

で、ググって、ツイッター検索して、あちこち調べて、、、

「1ヶ月ぐらい待ってから再申請すると通りやすい」とあちこちに書いてあったけど、1ヶ月も待てない!なぜかすぐに再審査ボタンおしちゃう

1ヶ月待ったからって通るものは通るし、通らないものは通らないでしょうに、、、と思っていたよ

でもね、4月末から5月、忙しすぎてブログもかけないし、再審査もできなかったの

で、

でよ。

先日、再審査ボタンポチってみたら

数日後

通りましたーーーーーー♪♪

メールを二度見したのなんかはじめてよ♪

次は、どうやって記事を充実させていくのか

どうやって皆さんの役にたつ文章がつくれるのか・・・。

今の自分

私は、現在アラフォーの元不登校児(女)です

不登校だったのは小学校3年生から6年生までと

中学校2年生の10月から3月の半年

現在は、二人の女の子のは母親です

旦那さまの家族と同居しており、義父母・義姉も同居しています

朝から7人分のご飯を用意し、旦那さまのお弁当も作ります

7人分の洗濯物を干し、娘を保育園に送ってから出勤

職場は小さな小売店ですが、一つの部署を任され部下は5人

任されている部署は会社全体の売上の50%を占めている大切な部門です。

人事も任されているので、面接をして採用した子たちは、自分が嫌いなタイプは居ませんw

みんな、可愛くて良い子ばかりです

やりがいがあって楽しい仕事です

日々、オーナーの次の役職で奮闘しています

5時半に退勤したあとは、二人の娘をお迎えに行ってから7人分の夕食を作ります

後片付けもします

旦那さまが手伝ってくれていたら、義母に「片付けまでが嫁の役目」みたいなことを言われたので(怒)

基本、義父母は昭和初期の考え方を押し付けてきがち

子育てにもガンガン口出してくる

「嫁は我慢して当たり前、嫁なんだから苦労して当然」

だと思っているタイプ

義母が姑にいじめられていたようなので仕方ないかなと思ってます

こんな、令和なのに昭和の嫁みたいな私

不登校でも、メンヘラでも、

自分の考え方、受け取り方、気持ちの持ち方次第で

社会でも活躍できる!!!

自分をコーディネートできるのは自分だけだよ!

不登校児のお母さんたちにも、「こういう元不登校児もいるよー」と伝えて少しでも参考になる考え方をつたえられたらと思っています

ここから、私に何ができるのか考えます!

ほな!!!ほな!

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登校拒否児童だった時

31歳で結婚して、32歳で長女出産、36歳で次女出産、40歳を超えた今、小さな会社の役職で、やっかいな上司と、かわいい数人の部下をもつ立場になったわけですが、、、まぁ、特に成果を出してバリバリのキャリアウーマンというわけでもなく、お金持ちに慣れているわけでもなく、一般的な兼業主婦になったわけですが、、、

小学生の頃の私からしたら、奇跡のような「今」です

普通に子供を産んで、社会人として生活し、まさか人の上に立つようになるとは!!

9歳当時の私と私の家族からしたら、「え?そんな奇跡みたいな未来になるの?学校行ってないのに??ものすごく暗くて扱いづらいこの子が???母ちゃんから少しでも離れたら大泣きの大騒ぎのこの気難しい末っ子が?????」と、驚きで卒倒するほどのびっくりな未来が、今 です

不登校のきっかけ

きっかけは些細なことだったと記憶しています

田舎の小学校だったのでクラスの人数も少なく、今で言う「カースト」もわかりやすく「上位」「中位」「下位」と分かれていました

私はカースト中位ぐらいにはいて、上位の人達とも仲良くしていたような気がします

ある日、5つ年上の姉が書いてくれたイラストを本のしおりにしていました

すると、カースト上位の2名の女子が「かわいいね!私にも書いてきて」と言ってきました

決して意地悪ではなく、断っても全く問題なかったと思います

変な空気は感じませんでした

なのに、わたしは安請け合いをしてしまい「お姉ちゃんに聞いてみるね」と答えました

姉に聞いてみると、それは姉の友人が書いたもので、姉は姉で「カースト中の下」あたりに位置していたので友人に頼みづらそうでした

姉の困った様子をみて「大丈夫、断るね」といったものの、、、

「明日学校できかれるだろうか」「断ったらがっかりされるだろうか」「嫌な空気にならないだろうか」「嫌われたりはしないだろうか」と、ありもしないマイナスな妄想ばかりが膨らみ、、、

次の日「お腹痛い、休みたい」と、仮病で学校を休みました

その日1日は、ホッとしたような、でも後ろめたく、ソワソワしました

しかし、私は、そんな気持ちを抱えながらも、母親が心配してくれるのが嬉しかったのです

次の日も、「、、、今日も休みたい」と、母親に伝えました

「え?今日も??どうしたの??」「なんか、気持ち悪い」

熱を計るように言われ、こたつの中でなんとか微熱程度の数値を叩き出しました

「そうなの?学校に電話するね」

2日も、ズル休みをしてしまったのです

もう、あとには引けないような気持ちになっていました

当初の「お姉ちゃんのしおり」の問題は、さほど心になくなっていたように思います

3日目になると、次は「2日も休んで、教室に行ったらどう思われるだろう」「ズル休みだと「気づかれていないかな」「どうしよう」「どうしよう」

母親に無理やり学校の前まで車で連れて行かれたこともありますが、意地で車から降りませんでした

母親はパート勤めの職場の社長さんに事情を説明して、私を連れて出勤してくれたりしました

パート仲間のおばちゃんたちがちやほやしてくれて、働く母親を間近で見て、楽しいようなくすぐったいような日々を過ごしました

私は、もう学校への行き方がわからなくなっていました。

勇気がないのです

当たり前が、当たり前じゃなくなったのです

学校へ行くことはとても高いハードルになりました

母親は、信頼できる友人の方にカウンセラーの先生を紹介してもらい、会いに行くことにしたようでした

「不登校の原因は、母親」これが先生の教えでした

「母親が変われば、子供も変わる」

母は慌てることもなく、ヒステリーになることもなく、愛情を持って私に接してくれました

とことん寄り添ってくれました

カウンセリングの先生からの言葉を、学校の先生にも伝え、方向性を一つにして私を混乱させないように、周囲の大人の足並みを揃えてくれました

ポイントは

  • 無理やり迎えに来ない(無理やり学校につれていかない)
  • 母親は仕事を辞めない(不登校の子供に合わせない)
  • 日記をつける(母親も私も)
  • 計算ドリルを繰り返し解く
  • 漢字ドリルを繰り返しやる
  • 少し嫌なこと を毎日やる(掃除や縄跳びや剣道の素振り)

他にもあったかもしれないけれど、思い出せません、、、

それでも、苦しみながら、不登校児童のまま小学校を卒業しました

6年生のときの保険の先生が、強烈なおばちゃんで強烈に厳しくて、猛烈に愛情深いおばちゃん

そのおばちゃんのお陰で、少し楽しく保健室登校できていた日々もあります

そのおばちゃんとは今でも仲良しです

40過ぎと80過ぎで、「お互い年とったね~」と笑います

今でも人生の恩師です

正直に、言うべきことを言って、嫌われることを恐れない

そういう姿勢を教えてもらいました

私は、もともと

  • プライドが高い
  • ええかっこしい
  • 負けず嫌い
  • 自意識過剰

というタイプなので、鼻っ柱をへし折ってくれた大切な先生です

小学校での不登校は、最後少し明るくなりましたが、おおよそはジメジメと暗く陰気な日々でした

まさか社会人として普通?に仕事ができるなんで、誰も思って居なかったと思います

続きは、次回

ほな

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未分類 自分のこと

私が不登校になる前は

小学3年生の秋から、小学校卒業まで不登校だった

不登校になる前は、、、

比較的明るく、勉強は得意な方で、運動もそれなりにできて、社交的で、空気が読める、そんな児童だったと思う

だからこそ、自己顕示欲と現実との狭間で苦しんでいたのだけれど、なんと贅沢な心の病であることか

とにかく、相手からよってこられるのが苦手だった

追われると逃げたくなる

期待されるとしんどい

でも、相手にされないと不安

そんな揺れ動く感情を抱えきれなかった

で、それが不登校という形で出てしまった

友達にも好かれていたし環境にも恵まれていた

今思えば、贅沢な悩みだったとわかるんです

甘えがあったと思う

でも、幼少期の私は、今よりもしたたかで、今よりも傲慢だった

大人の顔色を伺っているうちに、学校へは行かない方が、「特別な存在」でいられる

と、気付いてしまった

それはそれで闇が深いか

だから、私は子供のしたたかさに敏感だ

見抜いて認めさせる

嫌な母親かな

ほな