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不登校だった私が、社会人になるためにやった3つのこと(要約)

小学校3年生の秋から6年生の卒業までの3年半と、中学2年生の秋から2年生終了までの半年。登校拒否児童だったわたし。

中学3年生になってから、高校受験のために投稿するようになり、志望校(一応進学校)に合格。高校卒業後は就職し、結婚、2度の出産を経て、小さな小売店の役職として社会で活躍できている。

不登校児が社会に適合して行くために、不登校時代にやった3つのことを紹介します。

人生で役に立つことばかりです。この3つのことをやっていなかったら、引きこもりまっしぐらで今での親のスネをかじってかじってしゃぶり尽くしていたと思うと、ゾッとします。

これから紹介する3つのことは、明確な目的のもと、実行していました。それは、「社会に出ること」です。”学校に行くこと”が目的ではありません。学校に行くことを目的にしている人の役に立つものでは無いと思います。社会に出て、自立する事を念頭に置いた考え方であり、行動です。

一つでも、少しでも、お子さんの不登校で苦しんでいるお母さんのヒントになれば嬉しいです。

1.小学校の基礎学習をひたすら反復する

不登校児は、プライドが高く、恥をかくことが恐怖、、、という子が少なくありません。社会に出て、早速学校に行っていないことで恥をかくと、そこでつまづき、また、社会から孤立してしまします。

小学校6年間で習う学習は、一般的な社会で必要なスキルがほぼ入っています。特殊な職業に就かない限り、中学校で習う連立方程式は使わないし、漢字検定1級を持っていないと知らないような漢字は、知らなくても恥をかくということはありません。小学校で習う一般的な漢字、掛け算、割り算、小数点の計算、分数、これが身についていればほぼ、大丈夫。

理科と社会は、もともと身についていなくても旅行に行って土地を覚えたり、日々のなかで習得しても遅くない知識ばかり。

とにかく、漢字と、計算ドリルを、繰り返し繰り返し、毎日やりました。

2.少し嫌なことを毎日やる

不登校児の特徴として、朝が弱い

というものもあります。眠い朝、仕事の為に起きるのは、大人でも憂鬱だし、しんどいです。

子供でも、朝が苦手な子はいます。不登校児は、特に朝が弱い子が多い。あさイチから、嫌なことから無自覚に逃げているんです。毎日。

社会に出る第一歩は、眠くても、しんどくても、朝起きる。毎日そこからスタートするんです。

ほかにも、少し嫌いな上司。なんとなく苦手な仕事。ちょっと話しづらい同僚、、、など、ストレスを感じながらも毎日を過ごすという耐性をつけておかないと、すぐに潰れてしまいます。

なにせ、朝、起きることすらできないのですから、、、

だから、朝、起きれなくても、その他で、毎日続けるんです、少し嫌なことを。そうやって、ストレス耐性をつけていく事が大切です。

私は、剣道の素振りと、縄跳び、雑巾がけ、、、のうちのどれかは必ずやらされました。どんなに夜遅くなっても、です。

子供を守るというのは、嫌なことをなくしてあげることではありません。嫌なことをやらせるのは可愛そうではありません。社内に出るためには、絶対に必要なスキルなのです。

3.2択は”大変な方”を選ぶ

「迷ったら、大変だと思う方を選びなさい」と母親に言われ続けて育ちました。子供の頃は、もちろんできません。大変そうなことからはダッシュで逃げていました。

でも、、、社会にでたら、楽な方に逃げると信用を失うことに気づきました。保身に走る社会人は上司からも部下からも取引先からも信用されなくなるのです。楽な方を選んだその一瞬は得をしたような気がしても、長い目で見ると取り返しのつかない大損になります。

理解できるのは社会にでてからです。それでも、親ならば大切な子供に教えるべきは「迷ったら、大変だと思う方を選びなさい」だと思います。

「DV夫に耐えろ」とか「セクハラに耐えろ」とかではありません。「嫌なことに耐える」のと、「大変な方を選ぶ」のは全く別の選択です。

難しい考え方ですが、「論語」や「タルムード」「聖書」などの昔から変わらずある教えや、「道は開ける」「7つの習慣」「嫌われる勇気」などのビジネスに通じる自己啓発の本にも、これに通じる考え方がたくさん書かれています。

もちろん、ケースバイケースですが、教えとして、知っているべき考え方であることに間違いは無いと確信しています。

おまけ.本を読む、新聞を読む

本を読むことは人生を豊かにすることに直結していると思います。本は著者が魂を込めて綴っています。その魂に触れることができるのは大きな収穫です。

そして、内容を学ぶのはもちろんですが、本を読んでいない人は、会話が下手くそだな、と感じることが多いです。伝え方が稚拙?というか、言葉のバリエーションが少ない?と言うか、、、私も下手くそですけど(汗

プレゼン資料を誤字脱字のまま読み進めてみたり、報告連絡相談に長い時間を要し、端的な伝え方が苦手だったりする人は、本や新聞を読んでいない人が多いです。

とにかく、本は良いです^^

漫画でも、小説でも、エッセイでも、雑誌でも。

私がいま心の拠り所にしているのは

反応しない練習

です。

未熟者なので、すぐに反応しちゃうんですよね、心が。

イライラしちゃうし、ざわざわしちゃう。

ゆったり、どっしり、構えて楽しく毎日を過ごしたいものですね。

ほな!ほな。

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諦めていたそのとき、アドセンスの審査が通った!

苦節半年、、、

やっとアドセンスの審査が通りました!!

https://www.xserver.ne.jp/blog/google-adsense-reexamination/

上記のページに、何回アクセスしたと思う?!?!

問い合わせフォーム、、、設置した

10記事以上、、、書いた

ユーザーの悩みを解決できるか、、、分からない(TT)

一つの記事が1000文字以上か、、、多分、多分大丈夫!

広告タグの設置、、、多分大丈夫!

あと何?何が足りないの???

アドセンスからメールが来るたび、毎週落胆、、、

「アドセンス 審査 通過」

で、ググって、ツイッター検索して、あちこち調べて、、、

「1ヶ月ぐらい待ってから再申請すると通りやすい」とあちこちに書いてあったけど、1ヶ月も待てない!なぜかすぐに再審査ボタンおしちゃう

1ヶ月待ったからって通るものは通るし、通らないものは通らないでしょうに、、、と思っていたよ

でもね、4月末から5月、忙しすぎてブログもかけないし、再審査もできなかったの

で、

でよ。

先日、再審査ボタンポチってみたら

数日後

通りましたーーーーーー♪♪

メールを二度見したのなんかはじめてよ♪

次は、どうやって記事を充実させていくのか

どうやって皆さんの役にたつ文章がつくれるのか・・・。

今の自分

私は、現在アラフォーの元不登校児(女)です

不登校だったのは小学校3年生から6年生までと

中学校2年生の10月から3月の半年

現在は、二人の女の子のは母親です

旦那さまの家族と同居しており、義父母・義姉も同居しています

朝から7人分のご飯を用意し、旦那さまのお弁当も作ります

7人分の洗濯物を干し、娘を保育園に送ってから出勤

職場は小さな小売店ですが、一つの部署を任され部下は5人

任されている部署は会社全体の売上の50%を占めている大切な部門です。

人事も任されているので、面接をして採用した子たちは、自分が嫌いなタイプは居ませんw

みんな、可愛くて良い子ばかりです

やりがいがあって楽しい仕事です

日々、オーナーの次の役職で奮闘しています

5時半に退勤したあとは、二人の娘をお迎えに行ってから7人分の夕食を作ります

後片付けもします

旦那さまが手伝ってくれていたら、義母に「片付けまでが嫁の役目」みたいなことを言われたので(怒)

基本、義父母は昭和初期の考え方を押し付けてきがち

子育てにもガンガン口出してくる

「嫁は我慢して当たり前、嫁なんだから苦労して当然」

だと思っているタイプ

義母が姑にいじめられていたようなので仕方ないかなと思ってます

こんな、令和なのに昭和の嫁みたいな私

不登校でも、メンヘラでも、

自分の考え方、受け取り方、気持ちの持ち方次第で

社会でも活躍できる!!!

自分をコーディネートできるのは自分だけだよ!

不登校児のお母さんたちにも、「こういう元不登校児もいるよー」と伝えて少しでも参考になる考え方をつたえられたらと思っています

ここから、私に何ができるのか考えます!

ほな!!!ほな!

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登校拒否児童だった時

31歳で結婚して、32歳で長女出産、36歳で次女出産、40歳を超えた今、小さな会社の役職で、やっかいな上司と、かわいい数人の部下をもつ立場になったわけですが、、、まぁ、特に成果を出してバリバリのキャリアウーマンというわけでもなく、お金持ちに慣れているわけでもなく、一般的な兼業主婦になったわけですが、、、

小学生の頃の私からしたら、奇跡のような「今」です

普通に子供を産んで、社会人として生活し、まさか人の上に立つようになるとは!!

9歳当時の私と私の家族からしたら、「え?そんな奇跡みたいな未来になるの?学校行ってないのに??ものすごく暗くて扱いづらいこの子が???母ちゃんから少しでも離れたら大泣きの大騒ぎのこの気難しい末っ子が?????」と、驚きで卒倒するほどのびっくりな未来が、今 です

不登校のきっかけ

きっかけは些細なことだったと記憶しています

田舎の小学校だったのでクラスの人数も少なく、今で言う「カースト」もわかりやすく「上位」「中位」「下位」と分かれていました

私はカースト中位ぐらいにはいて、上位の人達とも仲良くしていたような気がします

ある日、5つ年上の姉が書いてくれたイラストを本のしおりにしていました

すると、カースト上位の2名の女子が「かわいいね!私にも書いてきて」と言ってきました

決して意地悪ではなく、断っても全く問題なかったと思います

変な空気は感じませんでした

なのに、わたしは安請け合いをしてしまい「お姉ちゃんに聞いてみるね」と答えました

姉に聞いてみると、それは姉の友人が書いたもので、姉は姉で「カースト中の下」あたりに位置していたので友人に頼みづらそうでした

姉の困った様子をみて「大丈夫、断るね」といったものの、、、

「明日学校できかれるだろうか」「断ったらがっかりされるだろうか」「嫌な空気にならないだろうか」「嫌われたりはしないだろうか」と、ありもしないマイナスな妄想ばかりが膨らみ、、、

次の日「お腹痛い、休みたい」と、仮病で学校を休みました

その日1日は、ホッとしたような、でも後ろめたく、ソワソワしました

しかし、私は、そんな気持ちを抱えながらも、母親が心配してくれるのが嬉しかったのです

次の日も、「、、、今日も休みたい」と、母親に伝えました

「え?今日も??どうしたの??」「なんか、気持ち悪い」

熱を計るように言われ、こたつの中でなんとか微熱程度の数値を叩き出しました

「そうなの?学校に電話するね」

2日も、ズル休みをしてしまったのです

もう、あとには引けないような気持ちになっていました

当初の「お姉ちゃんのしおり」の問題は、さほど心になくなっていたように思います

3日目になると、次は「2日も休んで、教室に行ったらどう思われるだろう」「ズル休みだと「気づかれていないかな」「どうしよう」「どうしよう」

母親に無理やり学校の前まで車で連れて行かれたこともありますが、意地で車から降りませんでした

母親はパート勤めの職場の社長さんに事情を説明して、私を連れて出勤してくれたりしました

パート仲間のおばちゃんたちがちやほやしてくれて、働く母親を間近で見て、楽しいようなくすぐったいような日々を過ごしました

私は、もう学校への行き方がわからなくなっていました。

勇気がないのです

当たり前が、当たり前じゃなくなったのです

学校へ行くことはとても高いハードルになりました

母親は、信頼できる友人の方にカウンセラーの先生を紹介してもらい、会いに行くことにしたようでした

「不登校の原因は、母親」これが先生の教えでした

「母親が変われば、子供も変わる」

母は慌てることもなく、ヒステリーになることもなく、愛情を持って私に接してくれました

とことん寄り添ってくれました

カウンセリングの先生からの言葉を、学校の先生にも伝え、方向性を一つにして私を混乱させないように、周囲の大人の足並みを揃えてくれました

ポイントは

  • 無理やり迎えに来ない(無理やり学校につれていかない)
  • 母親は仕事を辞めない(不登校の子供に合わせない)
  • 日記をつける(母親も私も)
  • 計算ドリルを繰り返し解く
  • 漢字ドリルを繰り返しやる
  • 少し嫌なこと を毎日やる(掃除や縄跳びや剣道の素振り)

他にもあったかもしれないけれど、思い出せません、、、

それでも、苦しみながら、不登校児童のまま小学校を卒業しました

6年生のときの保険の先生が、強烈なおばちゃんで強烈に厳しくて、猛烈に愛情深いおばちゃん

そのおばちゃんのお陰で、少し楽しく保健室登校できていた日々もあります

そのおばちゃんとは今でも仲良しです

40過ぎと80過ぎで、「お互い年とったね~」と笑います

今でも人生の恩師です

正直に、言うべきことを言って、嫌われることを恐れない

そういう姿勢を教えてもらいました

私は、もともと

  • プライドが高い
  • ええかっこしい
  • 負けず嫌い
  • 自意識過剰

というタイプなので、鼻っ柱をへし折ってくれた大切な先生です

小学校での不登校は、最後少し明るくなりましたが、おおよそはジメジメと暗く陰気な日々でした

まさか社会人として普通?に仕事ができるなんで、誰も思って居なかったと思います

続きは、次回

ほな