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私が不登校になる前は

小学3年生の秋から、小学校卒業まで不登校だった

不登校になる前は、、、

比較的明るく、勉強は得意な方で、運動もそれなりにできて、社交的で、空気が読める、そんな児童だったと思う

だからこそ、自己顕示欲と現実との狭間で苦しんでいたのだけれど、なんと贅沢な心の病であることか

とにかく、相手からよってこられるのが苦手だった

追われると逃げたくなる

期待されるとしんどい

でも、相手にされないと不安

そんな揺れ動く感情を抱えきれなかった

で、それが不登校という形で出てしまった

友達にも好かれていたし環境にも恵まれていた

今思えば、贅沢な悩みだったとわかるんです

甘えがあったと思う

でも、幼少期の私は、今よりもしたたかで、今よりも傲慢だった

大人の顔色を伺っているうちに、学校へは行かない方が、「特別な存在」でいられる

と、気付いてしまった

それはそれで闇が深いか

だから、私は子供のしたたかさに敏感だ

見抜いて認めさせる

嫌な母親かな

ほな

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子育てのこと 未分類

不登校(いじめ以外)の一歩

不登校にも分類があって

“いじめ”は別格

これは、行かせなくて良い

親が出ても良いし、転校も良い

戦うとか逃げるとか、とにかく策を練る事が最善だと思います

でも、私は不登校の中には「依存型」や「かまってちゃん型」や「怠惰型」も多くあると思っていて

私は典型的な「依存型」だった

風邪をひいたタイミングで母親が仕事を休んでくれた 次の日は風邪は少し良くなっていたのに母親と過ごせて楽しかった 次の日、学校に行けたはずなのに「行きたくない」と駄々をこねたら休めた その次の日はズル休みしてしまった事が心にほんの少しだけ影を落としてしまい学校に足が向かなくなってしまった

そしてそのままズルズルと不登校になってしまった

もちろん子供ながらにそんな理由で大人達を困らせるのはダメだと分かっているからそれらしい理由は常に添えた

友達から無理難題を言われている、であるとか、友達の喧嘩に巻き込まれてしんどいとか、友達がいじめられているのを見てこころが痛むとか、なにかしら大人の顔色を見てちょっと難しい理由をつけた

今思えば、休み初めて3日目のあたりでなんとか食いしばって踏ん張って、学校へ行っていれば不登校にならなかったのではないか、、、と、思う

「依存型」「かまってちゃん型」「怠惰型」は、あとになると「あそこで踏ん張っとけばこんなに大事にはならなかったかもしれない」という、ターニングポイント的なものがいくつかあると思う

私は小学校ではそのターニングポイントで踏ん張る事ができなかった

その時は立ち向かう意味も意義もわかっていないから当然といえば当然なんだけど

親は、今、目の前の子供の向こうに広がる「未来」を見据えて、今の対応をしなくてはいけないと思う

5年後、10年後、20年後の我が子が、何をしていたいのかを子供と一緒に想像してそれが実現できるように導けたら最高

学校に行けるようになることを目標にしてはいけない

学校はサラリーマン養成所だとでも諦めて、社会人に必要な教育を別で受けられる環境を整えてあげればいいと思う

でも、不登校の子ども達はどこか後ろめたくて心の底から笑えない子が多いのも事実

普通に学校に行き続けてほしいなら、子供のターニングポイントを見極めて、一緒に踏ん張る事が必須

SNSで「今朝も起きてくれない」とか「夜は 明日は学校いく! と張り切るのに朝になるとだめ 分かってるけど辛い」みたいなのをみかけるけど、そこじゃない。そこじゃないんだ。

親は親の職務を全うして、社会で輝くべきだ!

子供と一緒に落ち込んじゃダメ!!

子供は、親の背中を見ている

親の背中を、見ているのだ

ほな!