盗人にも五分の理を認める
カーネギーの有名な原則の一つ
人殺し
なんて大袈裟な気がするけど、悪人の極みという意味で解釈お願いします
カーネギーの本には、拳銃で何人も人を撃ち殺した男の話が出てくるけれど、私はもっと身近な人の例で、、、
ある分野でかなりのところまで上り詰めた人が、職場のお金を着服…正確には会社で受注したのにまるで個人で請け負ったかのようにお金を懐に入れていた
もちろん必要な材料は会社で仕入れているし、職務時間中に職務として行っている業務であるにも関わらず、お金だけ懐にポンッと入れてしまう
領収証も簡単に偽造できるし、何年もバレなかった
彼は業界では名が知れており、技術がある 彼のお陰で入ってくる仕事も少なくなかった為、当時の社長は見逃していたと思われる
むしろ、その社長も同じく会社の金を懐に入れていたのだろう
しかし、会社の経営が傾き経営者が変わったタイミングで、バレた
元社長と共にその男は解雇となった
さて、この解雇になった二人は解雇となった後、「私のした事が100%間違っていた。世の中と会社に多大なる迷惑をかけ、家族を守ることもできなくなった。何もかも私の責任だ。どうぞ罰してください」と、懺悔しただろうか…
答えは「否」である
「悪い事とは思っているが、こちらにもこちらの事情があった。給料は安かったし、実際に個人的に仕事をくれる人だったいたんだ。だから100%悪かったわけじゃない。実力に見合った給料をもらってなかったし、社長だっておなじような事をしてた。言われているほど悪い事はしていない。」と、言っているのだ
そして、新たに雇ってもらった会社でも少なからず同じような事をしている
そういう人間性の人もいるのだ
人殺しには人を殺すだけの正当な理由があるし、盗人には盗人になるまでの正当な理由がある
人殺しも盗人も極端だけど
子供の小さな嘘にも、私の言い訳にも正当な理由があるんだってば
寛大な心で人を許して生きていこうぞ
ほな!