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「三つ子の魂百まで」信じてるやつ、アホ

ミステリという勿れ

久能整という普通の大学生が、その観察眼と独特の感性で難解な事件の真相を暴いてしまうという、漫画。「バサラ」の田村先生が描いていて、今、一番好きな漫画。

そのなかで主人公が云うセリフ

「“女の幸せ”とかにもだまされちゃダメです。それを言い出したのは多分おじさんだと思うから。女の人から出た言葉じゃきっとない。だから真に受けちゃダメです。女性をある型にはめるために編み出された呪文です。だって”男の幸せ”って言い方はあまりされないでしょ。片方だけあるのはやはりおかしいんですよ。ただのおじさんの意見や感想が自然の摂理や事実みたいに言われてしまっているんです。」

「だったら女性にこそ教育や教養が必要だと思いませんか。だって次世代を担う子供を育てるんですよ、しかも一人で。”三つ子の魂百まで”その大事な時期を任されるということなんですよ、一人で。」

この二つ、特に印象にのこってる。

世界は、日本は特に、男性が優位に立てるように仕組まれてるなと、常々感じています。(整くん風☆)政治も、ビズネスも、社会をぶん回してるのは、中年以上のおじさん。アメリカの大統領ですら。古き良き風習も、素敵なことわざも、8割以上おじさんが言い出してるような気がする、、、。

落としたスイーツの行方

コンビニでご飯コーナーみてたら、斜め後ろのスイーツコーナーから「バシャン」って音がした。

振り返ると、若くて背の高い女の子二人がいた。足元に落としてしまったカップのスイーツを拾うところだった。

あぁ、落としちゃったのか。

すると、その子たちは、落としたスイーツを棚に置いた。しかも、奥のほうに。蓋がずれたのかゆがんだのか、しきりに蓋を気にして上から押している。二人で交互に蓋を押して、手前にきれいなスイーツを並べて、その場を立ち去った。

近くにいた店員さんは彼女たちと同世代に見えた。

「これ、今レジにいる子たちが落としちゃって、、、下げたほうがいいかと」と声をかけると、

「え?すみません、教えていただいてありがとうございます」と、クリームがふたにべっとりついて売り物にはならないカップスイーツ(多分350円ぐらい)を持ってバックヤードへ。その間、レジに並ぶ女子たちの目に、手に持ったつぶれたスイーツが触れないように気遣っていたように見えた。

親の教育?

この出来事で、まず思ったのは自分の子供たちの事。正しいことを教えようと厳しくすればするほど、怒られるのが怖くなり、自分の不利な出来事を報告できなくなる気がする。

いつでも味方だよ。悪いことしても、ちゃんと守るよ!という愛を伝えておきたいと思った。でもそれも行き過ぎるとゆがむのか?難しい、、、。

次に思ってのが、悪いのは親か?環境か?友達か?

「三つ子の魂百まで」

完全に否定するつもりはないけれど、三歳までの教えや環境より、思春期に出会う仲間や先生、その後の環境のほうが成人以後の人格形成に大きく影響を与える気がするのです。

自分も、3歳までも愛されて育ててもらったと思うけど、正直覚えてないし。そりゃ、虐待とか事故とか、ショッキングな出来事があればそれが人格形成に影響する可能性は否定できないけど。

どうしたって、小学校高学年以降の出会いや行動や考え方や与えられた環境が今の自分を作っているような気がしてならない。

3歳までに素晴らし教育をされていたとしても、二十歳になって、一緒にコンビニに行った友達が、スイーツ落としちゃってパニックになっている自分に「いいよ、奥においておけばわからないよ、大丈夫大丈夫!」と、明るく笑顔で言ってきたら、良くないと知りながらも「そうだよね!」となるのでは?

落とした本人が「奥に置けばばれないかな」と、隠蔽しようとしても、友達が「やめときな、私が食べるから買っていこう!」と言ってくれたら?「そうだよね、よくないね」と二度と似たような隠蔽はしなくなるのでは?

その場合、3歳までの魂じゃなくて、今横にいる友達が、その後の人生を左右するきっかけにもなるのでは??

ことわざに気をつけろ

三つ子の魂百まで

ということわざは、きっと、自分の子供が、思いのほか出来が悪く育ってしまったときに、権力あるくそ親父が奥さんにすべてを擦り付けるために言い出したと思っている。

3歳までたいてい母親や、昔なら乳母が子供の面倒をみる。なのに女性に十分な教育の場を与えない。子供が出来が悪く育ったのは女のせいだ。と、理不尽な言いがかりをつけているようにしか聞こえない。

男は外に出れば7人の敵がいる→おまえらだけじゃない。女も同じだ。

結婚は人生の墓場→男だけじゃない、女も同じこと思ってるよ。

男は度胸、女は愛嬌→おじさんの願望でしかない。

偏ったピックアップですが。

今の日本もおじさんたちがつくってる

円安

失われた30年

GDPランキング

少子高齢化

などなど、、、今後の日本が心配ですが、これもまた権力大好きおじさんたちが動かしているからうまくいかない。

子供の事本気で考えてるのは母親です。

大切な子供たちが生きているこれからの日本を良くしてほしい。

おじさん、いい加減にしないと、母親たちに引きずり降ろされるよ。

ほな!

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脱!迎合!!仕事の主導権を握って、成果を出すのだ!

迎合とは?

迎合とは・・・自分の考えを曲げてでも、他人の気に入るように調子を合わせること。

「いやいや、私はちゃんと自分の考えで生きていますよ!」という声が聞こえてきそうですが、実は迎合していることって多いです。

仕事でイライラしてる人は、知らず知らずのうちに「迎合」していることがあるのではないでしょうか。

迎合チェック

次の質問に”イエス”が3つ以上ある人は「迎合主義」の可能性?!

  • デートの時、相手に「どこに行く?」と聞くことが多い
  • 仕事中、次にやる仕事を確認する際、上司に「先ほど指示いただいたことは終わりました。次はなにをやりますか?」と尋ねている
  • 献立に困ったとき「夕飯何食べたい?」と家族にきいている
  • 計画がうまくすすまないとき「あの人のせいでこうなってるんだよなー」と思う時がある
  • 違うと思っていても空気を読んで「・・・わかりました」と言ってしまうことが多い
  • 頼まれると、嫌と言えない

迎合の反対語(対義語)

一般的に、迎合の反対語は「反論」「批判」だといわれています。

迎合が「自分の意に反して他人に合わせる」という意味合いなので、反対は「相手に合わせずに自分の意見を通すこと」となり、「反論」になるのですね。

でも私はちょっと意見が異なります。

「迎合」の反対語は「責任」のほうがしっくりくると思うのです。

他人に合わせることは大変なようでいて実は「体よく責任を逃れている」と感じることが少なくないからです。

迎合チェックの解説

「迎合」ではなく「責任」にするための具体例を挙げます。

  • デートの時、相手に「どこに行く?」と尋ね、相手に迎合して決めた場所に行って、楽しくなかったとしても自分が責任を感じる必要はありません。逆に「いまいちだったね、ごめんね」と誤ってもらい「そんなことないよ~」などど、偽善者になることも可能です。
  • 「何やりますか?」と尋ねられるのと「○○か△△、どちらかやっておこうと思いますがどちらをやりましょうか?」前者は相手に判断をゆだねているのに対し、後者は少なくとも2択まで自分で考え絞っています
  • 「何食べたい?」家族の希望を叶える意図も十分にあるでしょうが、思考停止している可能性も否定できません、、、。2~3択ぐらいに絞ると自分の意図を十分に反映できます。
  • 「あの人のせいでこうなっている」裏を返せば「あの人の言うことをきいたからこうなっている」。つまり、あなたが主体性をもって自分の意見を主張していれば”あの人”のいうことを不本意ながらきくこともなく、現状を”自分の責任”としてとらえることもできたはずです。
  • 違うと思っているのに「わかりました」、、、これが迎合です。
  • 頼まれると嫌と言えない。これも迎合ですが、自分で責任もって引き受けたなら「主体性ある迎合」かもしれません。他人に責任を押し付けずに自ら責任を取る覚悟があるなら「迎合」したことも最終的には「主体性」「責任」につながるのかもしれません。ただし、性悪に付け込まれる覚悟も必要です、、、。

「迎合」と「主体性」と「責任」

迎合って、楽なように見えて、実際は自分で責任を取る覚悟をもうスタンスをとったほうが生きやすいのではないでしょうか。

誰かのせいにしていきるのってしんどいです。

「お母さんんがそうしろっていったから」

「友達がやれって言ったから」

「みんな持ってるから」

「上司の命令だから」

「旦那の意向」

「子供の希望」

生まれてから死ぬまでにどれだけ責任を逃れて、他人のせいにしていくのでしょう。

何度、自分で責任を取ることができるでしょう。

日々の後悔は、どちらが少なく、

日々の充実は、どちらが多いでしょう。

一つでも多く自分で責任を取れるように、判断力を磨き、正しい道を歩きたいと思っています。

他人のせいにしちゃうこともあるけどねっ☆

今日、私の機嫌が良くないのは、パチンコに行った旦那様のせい!!!

ほな☆

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子育てのこと 日々のこと

”挨拶をする意味”について真剣に考えてみた

横断歩道にて、、、

とある地方都市に出張に行った時のこと、、、

下校の時間帯だったのでしょう、小学生が横断歩道で立ち止まっていました。手前で停まって渡るのを待ちました。さて発進しようとアクセルを踏もうとしたとき、小学生(おそらく高学年)の男子が、かぶっていたキャップをさっと外して、私と、対向車線で停車していた車に向かってペコリと頭をさげて走り去りました。

とても爽やかな気持ちになりました。

別の横断歩道でも、さきほどより小さな(おそらく低学年)の児童が。同じく停車。今度は「ありがとうございました!」と大きな声付きで頭を下げてくれました。

低学年でもできるんだな。近くに大人が見張っているわけでもないのに、この近くの小学校では”挨拶”に対する重要性を説いているのだな、見習わないとな。

と、今度は背筋が伸びるような気持にさせられました。

会社にて、、、

「おはようございます」「おはざー--っす」「あざっす」「うっす」などなど、、、朝は、実にいろいろな挨拶が飛び交います。声も大きい人、小さい人、様々。丁寧なあいさつ、雑な挨拶、それぞれです。

人間関係が良好な間柄だと、比較的きちんと挨拶を交わしているようにみえますが、希薄な関係性の人同士は挨拶も希薄に感じます。

地方都市の小学生はきちんとお礼や挨拶ができるのに、大人になると相手を選んだり気分に左右されたりしている人もいるな、、、と。

「もう泣きそうです」

部下に「もう泣きそうです。無理かもです。」と切り出された。

話を聞くと、一人の先輩社員からのアタリがきつくて耐えられない、とのこと。

自分の不注意を注意されているのはわかるけど、言い方がキツすぎて内容が入ってこないからまた同質のミスをしてしまう。何よりキツイ言い方をされるだけで気分が重くなる。会社に来るのも気が重い、、、。という。

思えば、”明るく元気”がウリの若い女の子なのに、最近は笑顔が引きつっているような、、、。

相手の先輩社員を叱れば良いのですが、それでは解決にならないと判断し、こうアドバイスしました。

「この話の前提は2つあるよ。まず、相手は変わらない。もう一つは、どこに行っても自分と合わない人はいる。それを踏まえたうえで、あなたが気にしないようにするしかない。強くなれ。そして、もっと仕事に打ち込め。暇だから脳みその空きスペースにあの先輩のことが入ってくるんだよ。とにかく、仕事をしまくれ。あと、自分から元気に挨拶することと、小さなことでも何かしてもらったら大きな声ではっきりと感謝を伝える。あの先輩社員にあなたができることはこの2つだけだよ」

きっと、彼女は納得していないと思う。

でも、小学生にできて大人のお前にできないはずがないだろう。

小学1年生の娘へ

次女はとにかく人見知り。恥ずかしがりやさん。なのか、自意識過剰なのか。おそらく後者w。

みんな私に注目しているとおもいこんでいるのでしょう。実際は誰もが自分のことで精いっぱいなんだから、他人の事なんてさほど気にしていないのに、、、

で、人見知りゆえに、挨拶が苦手。久しぶりに会う友達。久しぶりに会う祖父母や従姉妹。隣に住むご夫婦。病院の先生や看護師さん。とにかく苦手。何度も何度も練習させて、こっちでタイミング出してやっと蚊の鳴くような声で「こ、、、んにち、わ。」

「挨拶はしなくちゃダメって言ってるでしょ!!」といくら怒ってみたところで、小1女子に届くわけもなく、そのばしのぎに反省して見せるふりをするばかり。

どうやって伝えたら「挨拶は大切なんだ」ってわかってもらえるんだろう。

そもそも挨拶ってなんで大切なんだっけ?

なんで挨拶されると爽やかな気持ちになるんだっけ?

無視されると不快になるのはなんで?

地方の小学校では多くの子供が当たり前のようにできているお礼。

大人になると雑になる人がいるのはなんで?

いろいろ調べた中で、小1女子にも伝わりやすく腑に落ちたのがこの考え方でした

挨拶の意味

あいさつは、相手の存在を認めていることを積極的に伝える手段であり、「あなたを認めています」「あなたとの人間関係を前向きに考えています」ということを示すサイン

職場であいさつを交わすタイミングにあいさつされないと、自分が相手から軽く見られているように感じたり存在を無視されているように感じたりしてしまうことでしょう。こうした感情が蓄積されると、相手に嫌悪感を抱くようになり、職場で安心して仕事ができなくなる

挨拶は承認欲求を満たしてくれる

人間は承認欲求の塊。認められると安心するし、否定されるとイライラする。

イライラすると仕事や家庭に悪影響があるのは火を見るよりも明らかです。

気持ちの良い挨拶を自分からする

小学生から学んだ尊い教えです。

ほな。

とかじゃないな。

ごきげんよう!!