カテゴリー
仕事のこと

”働く”ということ

私は二児の母です

独身時代から5年勤めた会社でに在職中に、結婚

すぐに妊娠発覚して、予定日1ヶ月前から産休&育休取得

子供の1歳の誕生日から復職(役職のまま、時短復帰)

4年後に次女を授かり産休&育休取得

1歳の誕生日から復職(役職のまま、時短復帰)

普通なんですけど、みんな普通にやってることなんでしょうけど、正直、しんどくないですか?

私は、しんどかったです。

上場企業で福利厚生が整っているならば、良いのでしょう

私の職場は、社員4名、パート7名ほどの小さな小売業

出勤はシフト制で、会社は年中無休

1日の出勤人数は6名ほど

小さな子どもを抱えての役職復帰は精神をえぐられる思いの日々

子供を大切にしたい気持ちと、仕事の責任と、家族からの冷たい視線と、、、未満児を預けて少々働いたところで二束三文

私は何をやっているんだろう、、、の毎日でした

きっと、そういう気持ちで働いている方、たくさんいると思います

出産と同時に退職して、子供が大きくなるまで子育てをして、おちついたらパートかなにかを探して、家計を助ける、、、そういう未来もあるのかもしれないと何度も思った

しかし私は、「長い目でみる」ことで、気持ちを落ち着かせる事ができました

いまは二束三文に感じても、小さな子どもを二人抱えていると、子供が度々熱をだして欠勤することもある

今の職場は長く働いてきた人間関係は比較的良好で、立場や境遇を理解してくれてる人もいる

なにより、独身時代に頑張って掴んだ社会での自分の居場所のようなものを手放してしまうことも抵抗があった

だって、登校拒否してたころ、好きな仕事で人に必要とされて毎日笑って楽しく過ごす未来なんて想像していなかったので

社会から何年も離れるのは少し怖かったのかもしれません

で、周囲からは「大変だからやめておけ」と反対されながらも、役職のまま正社員として復帰

本当に精神的にしんどい事がたくさんたくさんありました

娘たちがこれから生きていく日本では、女性は結婚しても子供ができても働き続ける事になりそうです

私は好きな仕事をしています

子どもたちに、大変でも、しんどそうでも、どこか楽しそうに生き生きと働いている母の姿を見ていてほしいな、と思っています

自分が母になったときに、生き生きと働きながら楽しく子育てができるように

私が、子供のために自分を犠牲にしていたら子どもたちは、「私のお母さんは自分を犠牲にして私を育ててくれたんだ 私も自分を犠牲にしなくては」と思う日が来てしまうかもしれない

私の母は、家庭を第一に考えてくれる人でした。でも、自分を犠牲にしているのでも、子供の都合に合わせて仕事を変えるのでもなく葛藤しながら働き、最後は不況により解雇されたけど、「解雇されたから早く手当がもらえてラッキーだったわ^^」と豪快に笑い、「なんの取り柄も無い母ちゃんを20年以上雇ってくれたんだから感謝しか無いわ」といっていた。かっこよかった。

私も、そんなふうにかっこいい母親になれたらなと思い、日々、楽しく二束三文で働くのですw

カテゴリー
未分類

ラブリーについて

はじめまして。ラブリーと申します。

女の子2人の母であり、自称イケメン(ジャニーズの一次試験に合格したとかしないとか)の旦那様の妻であり、義両親と義姉の同居の嫁であり、小さな小売店の管理職をしているアラフォーです。

ブログ初心者。

自己紹介は時系列で箇条書きにします。読み流してください^^

・19XX年 N県のど田舎の村に生まれる

・姉、兄、自分の3人の末っ子

・保育園の登園時は必ず大泣きしてお母さんから離れられないタイプ

・6歳からピアノ教室へ通う 同時に姉兄の影響で剣道教室へ入会

・比較的活発で通知表はオール◎ 友達も多い

・小学3年生の秋、登校拒否開始 自律神経失調症と診断される

・母親がカウンセラーの先生をみつけてくる 

・4年生からの担任の先生が百人一首を推すおじさんで、影響されて百人一首が好きになる

・5年生では、進級判断に必要な100日を超える年間欠席日数

・6年生の養護教諭(激しいおばさん先生)と運命の出会い

 人としての在り方など人間としての指導を受ける

・中学校入学から隣町に引っ越すことになり、環境が変わったことにより、何事もなかったかのように中学デビューすべく登校スタート

・順調にみえたが、中2の秋から登校できず

・3年生に進級すると同時に、登校再開(高校にいきたくなった)

・私立の進学校に入学 このあたりでカウンセラーの繊細から卒業

・高校3年間、部活と恋を謳歌しまくる

・進学せず、希望職種へ就職

・転職数回を経て現在の会社へ(小さな小売業:クセ強上司)

・結婚、出産を経て、現在に至る(職場では管理職)

自分が子育てをしながら働く日々で、登校拒否を繰り返す娘をどんな気持ちで育てていたのだろうと母親を尊敬しない日は無いです。

父は明るく社交的な人だったけど、子育てには細かいことは言わず私のことを諦めずに、見守ってくれていたことが今はわかる。

長く登校拒否しつつも、社会に出ることができたことに感謝しつつその経験を文字にしていこうという気持ちと、

現在、義家族(かなりクセが強い、ひどい)との令和ではなかなかありえないやり取りやストレスを綴ることで、勇気が湧く人がいるかも知れないという思いで、ブログをはじめてみようかと。

よし、書くぞ。