キャリアとは
経歴。
- 積み重ねた実地の経験。
- 特定の試験に通って本庁に採用されている、上級公務員職の候補となり得る、特権官僚。
という意味です。(Wikipediaより抜粋)
今回、書きたいのは、1番目の意味のほうです。
令和とはいえ、まだまだ女性は、結婚・妊娠&出産・子育て と、ライフステージによって仕事における経歴を積み重ねることが難しいと思っています。
男性の育休取得率が上がっているとかいいますが、それはまだほんの一部の会社のほんの一部の話をクローズアップしているにすぎないのが現状。
女性がキャリアを積めない理由
具体的に説明すると、、、
結婚すると→独身期より、家事負担が増える。旦那より早く家に帰って夕飯つくらないと旦那に申し訳ない。休みの日も二人分に増えた洗濯物や掃除など、やること多すぎ
妊娠&出産→もちろん100%女性負担。悪阻も、体調管理も、産休取って出産も、男性には変わることができない。心身ともに疲労困憊となる。男性のサポートがないよりはあったほうがマシだが、女性のキャリア形成は一旦ストップする。
子育て→喜びももちろん多いが、責任も費やす時間も女性がほぼ負担することになる。出産で酷使した身体と精神を休める間もなく待ったなしでスタートする育児は、仕事のことなど考える暇もないほど目まぐるしい。子供が大きくなってきたとて、学校に通っているうちは手間暇がかかる。たとえば、高校生になってもお弁当作りが毎日あり、ほとんどの家庭で女性が負担している。
現状を変えられないなら?
上記に書いたようなことは、一部例外はあるとしても、ほとんどの働く既婚女性が「わかるわぁ」となる、「女性がキャリアを積み重ねられない理由」となっていると思います。
とにかく、家庭における女性の負担が大きすぎると、私は思います。
例えば、参観日にお母さんが多い。なぜなら「旦那が仕事を休むよりもパートの私が休んだ方が収入に影響しないから」収入に影響しないのは、結婚・妊娠・出産・育児 のうちの、どこかのタイミングでキャリアの積み重ねを断念せざるを得なかったからです。パートやアルバイトにならざるを得ないから、旦那の給料のほうが良い状態になっている。
だから参観日にも母親が来る。だから、学校の様子が旦那よりわかる。友達の顔がわかる。友達の親の顔もわかる。行事に詳しくなる。
だから子供が問題を起こした時も、母親に連絡が来る。母親は責任感から、方々に対応する。旦那にも報告をするけれども、子育てにおいて「メインの担当者」は母親となる。
父親は、結果として、子育ての「サポート」をしている感覚になる。
家庭において子育てに関する課題や問題って決して少なくないのに、メイン担当が自分だから母親は頑張る。メイン担当を全うしようとすると、仕事をメインにすることが難しい。だから、キャリアを積み重ねることは断念する。
キャリアの捉え方を変える
ここまでで、「子持ちの女性が仕事でキャリアを積むことはほぼ無理」と言っているように感じますよね。私もそう感じています(笑)
でも、捉え方を変えて
キャリア=仕事における経験や経歴
ではなく
女性のキャリア=仕事における、その人の「姿勢」や「あり方」
と、してみたら、どうでしょう。
「姿勢」「あり方」
汚職も、不正も、圧倒的に男性が手を染めていますよね。一部例外はあります。女性が不正をしないというわけではありません。割合の話です。
女性と違って、男性の方がキャリアを積んで成果を出して社会に求めてもらえる機会が多いのに、なぜでしょう?
それは、その人の生きる 姿勢 や、自身の あり方 に原因があると感じています。
女性は子育てします。未婚の人も「いつか私も子育てをするかもしれない」と、どこかで子育てする自分を想像していると思います。子供のうちから、将来は「保育士さんになりたい」「優しいお母さんになりたい」と、し子供と関わることを意識している女の子も少なくないです。
その時点で「子供にとって良い見本でありたい」というような気持が少なからず芽生えているように思います。不正に対して潔癖な面があるのは女性であり、おじさん社会でも女性が一人いるだけで徒党を組んでの悪事をしにくくなるのだそう。(私の好きな漫画「ミステリと云うなかれ」にもかかれています)
自分の子供を犯罪者にしたくない、子供に正しい道を歩ませて幸せにしてあげたい という母親の慈愛の精神。これが、不正を起こす率が男性より格段に低い理由の一つだと私は思います。
女性の「生きる姿勢」「正しく優しい人間のあり方」それこそが女性の社会における「キャリア」なのではないでしょうか。
アルバイトでもパートでも、また、管理職でも、社長でも、女性は、経歴などではなく、「キャリア」を発揮できる。そう思います。
ジェンダーフリーとポリコレ
ジェンダーフリーの令和において、「女性が」「男性が」とずいぶん時代遅れの表現をしてしまいました。
しかし、私は「男性」「女性」はあると思いますし、男女は平等ではないとおもっています。また、こういった考え方も含めてポリコレ(ポリティカルコレクトネス)であってほしいとも思います。差別ではなく、現実として、違いは、ある。そういう考え方を認めることも、人生を前に進めるきっかけになるのでは、と。
私は、女性は女性らしく(例外は、ある)社会においてキャリアやリーダーシップを発揮すべく、自分の「姿勢・あり方」にこだわって生きていきたいと強く思います。
大好きな子供の為、大好きな会社の為、仕事の為、なにより自分の為に、胸を張って、優しく、たおやかに、堂々と。生きるぞ。
ほな。