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子育てのこと 未分類

学校を休んででも深めておくべき母子の笑顔の時間の話と、葛城ミサトさんへのリスペクトについて

ラブリーは女の子二人の母親やらせてもらってます!

ふたりともそれぞれに定期的に病院に通う必要があるので平日休みがありがたいです。

長女は「成長ホルモン分泌不全」

次女は「先天性代謝異常」

遺伝子が良くないんだ、、、と暗い気持ちになったこともありましたが、くよくよしていても良くなるわけじゃないので、「通院の時間は子供との楽し良い自由時間♪」と思って楽しみにしています。毒義両親との同居なので子供と堂々と過ごせる時間が嬉しいのは本当です。

長女は、心が繊細で甘えん坊。頑張るとか結果を残すとか誰かに負けたくないとか、そういう気持ちを持つことが苦手。私にしっかり甘えないと元気が出なくなっちゃうことも。そんな時は、私の愛情が足りていないんだな、と反省しつつ、平日のお休みに学校を休ませて二人きりで1日デートします。1年に1回か2回程度ですが、それで満足して安心して、それを思い出して、頑張ってくれるから、愛おしい。

ラブリーの二人の子供は、贔屓目にみて、いや、客観的に見ても、かわいいんですよw

毎日、「かわいすぎて誘拐されませんように、、、」

と祈ってしまう(マジ)。

エヴァって、子育てしててもよく思い出す。わたしだけ?

ミサトさんの強さに本当に憧れる。砕けてて親しみやすいのに、大胆な作戦立てて、上司にも信頼されていて、自ら責任をとる覚悟が半端ない。常に他社の事を考えていて、保身の気持ちが一切ない。経験によって信念を積み重ねて、その信念からぶれない。

好きだわぁ。名言集作ろうかな。自分で。

ツイッターもみてね

さて、長女との笑顔デートはどこに行こうかな。

行ったら報告します!!

ほな♪

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未分類 自分のこと

母親からの電話

母から電話があった

県内に住んではいるが車で1時間以上かかる為、コロナの影響もありなかなか会えない

今日の電話の用件は「掃除してたらね、あんたの小学校の頃の、母ちゃんとのメモみたいなノートが2冊出てきてね、面白いから今度渡すわぁ」と…

絶対に黒歴史w

小学校の頃の私は、学校へ行かず、とことんマイナス思考で、究極にめんどくさい奴

そいつが依存しまくっていた母親との会話メモ?なのか、交換日記なのか…

絶対に面白いに違いない…

いつか、ここで、あかしますね…

母はとても忍耐強い人なので、めんどくさい私ととことん向き合ってくれた

イライラしている私に 要らない茶碗を渡してくれて「裏で思いっきり割っておいで」と言ってくれた(本当に割っていた 闇 泣きながら片付けた 闇)

母を尊敬している

父も尊敬している

父の話はまた今度

ほな。

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家族のこと 未分類

母ちゃんのこと

私の母親は実に波乱万丈な人で

数奇な運命に翻弄され、苗字は4回変わっているらしい

離婚と再婚を繰り返したのではない(そんなにモテナイw)

結婚は父との一度だけ 離婚歴も無い

母のお母さん(私の祖母)は 比較的恵まれていたらしい

そして比較的お金のある比較的名家に嫁いだらしい

でも嫁いだ家に馴染めなくて 嫁ぎ先を飛び出した

もちろん、離婚された

そしたら、お腹の中に赤ちゃん(私の母)がいることがわかった

悩みに悩んで、父親のいない子にするのは可愛そうだと

なんと、飛び出してきた家の元嫁ぎ先の長女として戸籍に登録した (苗字1つ目)

どうやってそんな事ができるのか今となってはなぞでしかないけれど、母は比較的名家の長女となった

しかし、そんなものはすぐにバレて、大目玉を食らい籍を抜いた

そして、一度母の母の実家に養女として籍をいれた(苗字2つ目)

その後、母の母が再婚し、これまた嫁ぎ先の養女として籍をいれた(苗字3つ目)

養女?なぞだけど、そうだったのだそうだ

母の母が再婚したのは、戦争で片足を失くした人だった

母は、自分の母が子連れで有ることに後ろめたさを感じているのではないかと、一生懸命尽くしたそうだ まもなく弟、妹が生まれ5人兄妹となった 

母は、母親を大切に思い、母親と二人きりでのんびり過ごす日を夢見て母親と義父と義祖母に尽くした

中学卒業と同時に県外に”奉公”に出ることになった お医者さんの家の家政婦だった

幸い家事は一通りできるし健康であったため、重宝がられてかわいがってもらったそうだ

給料の殆どを実家に仕送りしていた母に、雇い主のお医者様のおばあさまがとても目をかけてくれた 母はそのおばあさまの介護要因として雇われていたのだと思う

途中、実家の弟から連絡があったそうだ 「進学するにあたり戸籍を見た なぜ、姉ちゃんは長女じゃなくて養女なんだ なぜ、妹が長女となっていのだ」と

弟妹たちからすれば、長女であり進学もできたはずの姉が奉公にでて 足の悪い父の代わりに働いて仕送りしてくれている なぜ?と思っていたのかもしれない

そのころ家族と離れていたために、その事がバレて家族の空気がどうだったのかなどは母には分からないそうだ

10年以上勤め上げ、母が26歳になったころ、おばあさまが亡くなった そこで少々の退職金をいただき 解雇となり実家に戻った

当時の26歳といえば、少々行き遅れ もう結婚は諦めていたという 夢であった母親との暮らしを実現するときがきた、と楽しみでもあったらしい

戻って半年経った頃、お見合い話が持ち上がった

こんな行き遅れを貰うなんて物好きいるわけないけど、こちらから断るのもバツが悪いから行くだけいこう と、お見合いの日を迎えた

先に会場についていたのは母の方 遅れて相手方が到着

1つ年下の男性がお相手と聞いていたけど、やってきたのはだいぶ年上のおじさん 「だまされたぞ」と母の母が耳元で囁いた

まぁ、そんなものかな、とため息をついた

「遅れてすみません」とガッシリとした精悍な男性が現れて席についた

これには、母も、母の母も、グッときたそうで・・・w

話はトントン拍子にすすみ、お見合いの半年後に結婚♡(苗字4つ目)やっと、母は安息の地を手に入れたのだそう

実家の居心地に勝つ嫁ぎ先なんて絶対に無いと思う 核家族なら別だけど、同居の嫁は絶対に実家が最高だったと嫁いでから気づく

でも母は、嫁ぎ先が最高の自分の居場所なのだそう

義足の父に気を遣うこともなく、雇い主に配慮することもなく、自分が自分らしくいても良い場所が、嫁ぎ先だった

恵まれていると、幸福を感じる事が少なくなるらしい

母は、その境遇から、結婚後の幸福感じ率が振り切れている

娘が登校拒否児になっても、夫が入退院を繰り返しても、息子が事故で大怪我しても、もうひとりの娘が10年間反抗期に突入しても、何もかもが楽しかったのだそうで…

ドMの神様

みたいな人です 尊敬です

私も、相当なドMだと、周囲には言われますが、遺伝でしたww

遺伝子には逆らえなってことですね