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私が不登校になる前は

小学3年生の秋から、小学校卒業まで不登校だった

不登校になる前は、、、

比較的明るく、勉強は得意な方で、運動もそれなりにできて、社交的で、空気が読める、そんな児童だったと思う

だからこそ、自己顕示欲と現実との狭間で苦しんでいたのだけれど、なんと贅沢な心の病であることか

とにかく、相手からよってこられるのが苦手だった

追われると逃げたくなる

期待されるとしんどい

でも、相手にされないと不安

そんな揺れ動く感情を抱えきれなかった

で、それが不登校という形で出てしまった

友達にも好かれていたし環境にも恵まれていた

今思えば、贅沢な悩みだったとわかるんです

甘えがあったと思う

でも、幼少期の私は、今よりもしたたかで、今よりも傲慢だった

大人の顔色を伺っているうちに、学校へは行かない方が、「特別な存在」でいられる

と、気付いてしまった

それはそれで闇が深いか

だから、私は子供のしたたかさに敏感だ

見抜いて認めさせる

嫌な母親かな

ほな

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不登校の時親に無理やりやらされて助かっている3つの事

今では2児の親となれた私ですが、小学校へは半分くらいは不登校でした

3年の秋から5年生までは行かない日がほとんど

6年生の時は保健室登校 保健の先生のお手伝いをしたりお茶したりしてた

そんな中 母親はカウンセリングの先生を紹介してもらい ご教授してもらっていて、私も一緒に通った

カウンセリングの先生は、本職は脳外科の女医さんで診療の合間に時間をとってくれていた

優しい雰囲気と威厳のある信頼できる先生に偶然出会えて、母も私もラッキーだったと思う

色んな事を沢山教えてもらったが、残念ながら私はあまり覚えていない

それもそのはずで、先生のカウンセリング相手は「母親」だった

不登校の子供は 母親が変わらなければ変わらない という指導だった

私に課せられた課題は一つ

3つの事をやり続ける事

その3つとは

①小学生の計算ドリルを繰り返し解く

②漢字ドリルを毎日1ページ以上

③少し嫌な事をやり続ける(私の場合は剣道の素振りや縄跳び)

先生の指導は徹底していて

「お母さんの目的は、お子さんを学校に通わせる事ですか?それとも社会に通用する人間に育てる事ですか?」

はっきりと問題提起され、母はもちろん後者を選んだ

それから母は、学校に行くように促す事は一度も無かった

登校拒否児によくありがちな 夜になると「明日は行く」と準備をして親を期待させて、朝になるとダメダメになっている、、、そんな事を何度繰り返しても母は一切落胆していなかったらしい

だって目的は 学校に行かせる事 ではないのだから

それよりも

計算ドリルをサボったり、漢字をやっていないと怒られた

縄跳びや剣道の素振りもなかなかサボらせて貰えなかった だからよく夜中に素振りした、、、

先生曰く

算数は小学校で習う、分数と小数点でつまづくと中学でも高校でもつまづくことになる

学校に行ってなくても小学校の算数をしっかり理解している事が強みになる

社会や理科はその場でなんとかなるし社会に出てから学んでもなんとかなる分野だけど、漢字は違う

今しっかり覚えないと大人になってハンデになる 社会に出て急に漢字は身につかない 今からコツコツやっておく必要がある

不登校児が社会に出れない1番の理由は嫌な事を続ける強さが無いから

学校へは行かなくても嫌だと感じる事を継続できる強さがないと社会で通用しない 学校はそれを学べる場だけど行かれないなら家でそれを叩き込むしかない お母さん、やらせてください 娘さんの為です

そう、強く強く指導されたそうだ

お陰で私は

ブラック企業?でもNo.2となり、(これからもっと稼いでみせる!!)

昭和の価値観バリバリの義両親と10年も同居している

しかも、楽しい(笑)

小学生の私を知っている人たちが今の私を知ると「え?あの子が?髪の毛金髪?超陽キャで稼ぎまくってんの??」とびっくりされる

そのくらい、暗くて、陰湿な子供だったのだ

それでも

母親の一念発起がきっかけで、ここまでこれた

私は、子供たちに何ができるだろう

と、考えない日はない

ほな!!!

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ラブリーについて

はじめまして。ラブリーと申します。

女の子2人の母であり、自称イケメン(ジャニーズの一次試験に合格したとかしないとか)の旦那様の妻であり、義両親と義姉の同居の嫁であり、小さな小売店の管理職をしているアラフォーです。

ブログ初心者。

自己紹介は時系列で箇条書きにします。読み流してください^^

・19XX年 N県のど田舎の村に生まれる

・姉、兄、自分の3人の末っ子

・保育園の登園時は必ず大泣きしてお母さんから離れられないタイプ

・6歳からピアノ教室へ通う 同時に姉兄の影響で剣道教室へ入会

・比較的活発で通知表はオール◎ 友達も多い

・小学3年生の秋、登校拒否開始 自律神経失調症と診断される

・母親がカウンセラーの先生をみつけてくる 

・4年生からの担任の先生が百人一首を推すおじさんで、影響されて百人一首が好きになる

・5年生では、進級判断に必要な100日を超える年間欠席日数

・6年生の養護教諭(激しいおばさん先生)と運命の出会い

 人としての在り方など人間としての指導を受ける

・中学校入学から隣町に引っ越すことになり、環境が変わったことにより、何事もなかったかのように中学デビューすべく登校スタート

・順調にみえたが、中2の秋から登校できず

・3年生に進級すると同時に、登校再開(高校にいきたくなった)

・私立の進学校に入学 このあたりでカウンセラーの繊細から卒業

・高校3年間、部活と恋を謳歌しまくる

・進学せず、希望職種へ就職

・転職数回を経て現在の会社へ(小さな小売業:クセ強上司)

・結婚、出産を経て、現在に至る(職場では管理職)

自分が子育てをしながら働く日々で、登校拒否を繰り返す娘をどんな気持ちで育てていたのだろうと母親を尊敬しない日は無いです。

父は明るく社交的な人だったけど、子育てには細かいことは言わず私のことを諦めずに、見守ってくれていたことが今はわかる。

長く登校拒否しつつも、社会に出ることができたことに感謝しつつその経験を文字にしていこうという気持ちと、

現在、義家族(かなりクセが強い、ひどい)との令和ではなかなかありえないやり取りやストレスを綴ることで、勇気が湧く人がいるかも知れないという思いで、ブログをはじめてみようかと。

よし、書くぞ。